のでなくてはならない。そして探偵小説は描写の技巧の優れたるよりも筋《プロット》の優れたものを上乗《じょうじょう》とすべきであろうと自分は思う。それ故|覚束《おぼつか》ない外国語で読んでも、比較的完全にその趣向を味うことが出来るのである。劇とか詩とかは、言葉そのものから、しっくり味ってかからねばならぬのであるが探偵小説には、たとい、今後馬場氏が適切に説破せられたように、人情や風景の描写が多く入って来ても、興味の焦点となるものはやはりその筋書でなくてはならないと思う。この点があればこそこうして自分ごときの素人が、探偵小説に嘴《くちばし》を入れ得る訳である。
 探偵小説の面白味は言う迄もなく、謎や秘密がだんだん解けて行くことと、事件が意表外な結末を来す点にある。而もその事件の解決とか、発展とかが、必ず自然的《ナチュラル》でなくてはならない。換言すれば偶然的、超自然的又は人工的であることを許さない。其処《そこ》に作者の大なる技巧を必要とする。即ちジニアスを要するのである。如何によい題材を得ても、また如何に自然科学に精通しても、単にそれだけでは駄目である。而も題材には限りがあり、又科学的新知識に
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