劣った不幸の人、もしくは醜辱の人を出すことがなかったであろうか。生死いずれが彼らのために幸福であったか。これは問題である。とにかく、彼らは、一死を分《ぶん》として満足・幸福に感じて屠腹した。その満足・幸福の点においては、七十余歳の吉田忠左衛門も、十六歳の大石|主税《ちから》も、同じであった。その死の社会的価値もまた、寿夭《じゅよう》(長命と短命)の如何に関するところはないのである。
 人生、死に所を得ることはむつかしい。正行でも重成でも主税でも、短命にして、かつ生理的には不自然の死であったが、それでも、よくその死に所を得たもの、とわたくしは思う。その死は、彼らのために悲しむよりも、むしろ、賀すべきものだと思う。

        四

 そうはいえ、わたくしは、けっして長寿をきらって、無用・無益とするのではない。命あっての物種《ものだね》である。その生涯が満足な幸福な生涯ならば、むろん、長いほどよいのである。かつ大きな人格の光を千載にはなち、偉大なる事業の沢《たく》を万人にこうむらすにいたるには、長年月を要することが多いのは、いうまでもない。
 伊能|忠敬《ただたか》は、五十歳から当時
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