死しても快川国師のごとく、震死しても藤田東湖のごとくであれば、不自然の死も、かえって感嘆すべきではないか。あるいは道のために、あるいは職のために、あるいは意気のために、あるいは恋愛のために、あるいは忠孝のために、彼らは、生死を超脱した。彼らは、おのおの生死もまたかえりみるにたりぬ大きなあるものを有していた。こうして、彼らのある者は、満足にかつ幸福に感じて死んだ。そして、彼らのあるものは、その生死ともに、すくなからぬ社会的価値を有しえたのである。
 如意輪堂の扉にあずさ弓の歌を書きのこした楠|正行《まさつら》は、年わずかに二十二歳で戦死した。しのびの緒をたち、兜に名香を薫《くん》じた木村|重成《しげなり》もまた、わずかに二十四歳で戦死した。彼らは各自の境遇から、天寿をたもち、もしくは病気で死ぬことすらも恥辱なりとして戦死をいそいだ。そして、ともに幸福・満足を感じて死んだ。そしてまた、いずれも真にいわゆる「名誉の戦死」であった。
 もし赤穂浪士をゆるして死をたもうことがなかったならば、彼ら四十七人は、ことごとく光栄ある余生を送って、終りをまっとうしえたであろうか。そのうち、あるいは死よりも
前へ 次へ
全24ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸徳 秋水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング