った。
色蒼ざめた支倉の細君は頭を垂れて静かに石子刑事の前に坐った。
事件以来既に二回会っているのだが、悠《ゆっ》くり観察もしなかったが今見る彼女は物ごしの静かな、あのいかつい支倉には似合しくない貞淑そうな美しい婦人だった。年もかねて聞いた二十八と云う実際よりは若く見えた。静子と云う名も人柄に相応《ふさわ》しい。
「御主人からお便りはありませんか」
石子は打|萎《しお》れた細君に幾分同情しながら聞いた。
「はい、少しもございません」
「御心配でしょう。然し私の方でも困っているのですよ。別に大した事ではないのですから、素直に御出頭下さると好いんですが、こう云う態度をお取りになると大変ご損ですよ」
「はい、お上に御手数をかけまして申訳けございません」
「何とか一日も早く出頭されるようにお奨め下さる訳に行きませんでしょうか」
「はい、居ります所さえ分りますれば、仰せまでもございません。早速出頭致させるのでございますが、何分どこに居ります事やら少しも分りませんので、致方ございません」
彼女は澱《よど》みなく答えた。
「ご尤もです」
女ながらも相当教養もあり、日曜学校の教師をしている位だし、夫の為云うまいと決心すれば、生優《なまやさ》しい問い方では口を開く女ではないと見極めをつけた石子は、話題を別の目的の方へ転じた。
「二、三年前とか、こちらの女中をしていた者が行方不明になった事があるそうですね」
「はい」
細君は狼狽したように答えた。
「その後行方は分りませんか」
「はい、分りませんようです」
「こちらで病気になったのだそうですね」
「はい」
彼女は初めて少し顔を上げて、探るような眼付で石子を仰ぎ見た。眉の美しい女だな、石子はふとそんな事を思った。
「病気は何でしたか」
「はい」
彼女は再び首を垂れてじっとしていた。
「花柳病だとか云う話を聞きましたが」
刑事は畳かけるように云った。
「はい、あの」
彼女は哀願するように石子を見上げながら、
「お聞き及びでもございましょうが、申さば夫の恥になる事でございますが、夫がつい悪戯を致しまして――」
彼女の声はそのまゝ消えて行った。
「叔父とかゞ喧《やか》ましい事を云ったそうですね」
「はい」
彼女は観念したように、
「父と申すのは中学校の先生で誠に穏かな人でございますが、兄弟ながら叔父と云う人は随分訳の分らない人でございました」
「その女中と云うのはどんな風でした」
「大人しい子で、器量もよく、それに仲々よく働きまして重宝な子でございました。病気になりまして知合の家に下げられ、そこから病院に通う事になりましても、別に私共を恨んでいる様子もありませんでした。親が裕福でありませんので、外出着にはいつも年の割に地味な黒襦子《くろじゅす》の帯を締めて、牡丹の模様のメリンスの羽織を着て居りました。行方が知れずなりました日も、やはりその身装《みなり》で病院へ行くと云って、いつものように元気よく出て行ったのだそうでございますが、その姿が眼に見えるようでございます」
彼女はそう云いながらそっと眼を拭った。
追跡
石子刑事が四、五日間支倉の前身を洗う為に奔走している間、根岸刑事の采配で渡辺始め多くの刑事が、支倉の所在を追跡して廻った。高飛をした形跡は更にないのであるが、刑事達の苦心は少しも報いられないで、杳として何の手懸りも掴むことが出来なかった。石子刑事へ当てた彼の嘲弄の手紙は相変らず毎日のように書留速達で署へ飛込んで来た。神楽坂署では署長始め署員一同がジリ/\していたのだった。
「ちょっ、この上はあの怪しい写真屋に泥を吐かせる外はない。何か旨《うま》い工夫はないかなあ」
老練な根岸刑事もあぐね果てこんな事を考えながら腕を組んだ。
朧《おぼろ》げながら支倉の旧悪を調べ上げた石子刑事は久々で署へ出勤した。刑事部屋には窓越しに快い朝日が差していた。
「ふん」
逐一話を聞いた根岸刑事はじっと考えながら、
「古い事だし放火の方は本人に口を開かせるよりほかはないね。女中の方は成程疑わしいには疑わしいが、何にしても死骸が出なくては手がつけられない。ひょっとすると生ているかも知れないからね」
「然しね、根岸君」
石子は云った。
「三度移転して三度ながら火事に遭っているとは可笑《おか》しいじゃないか」
「うん、確に可笑しい。三度ともと云うのは偶然過ぎるからね。所がね石子君、困る事はそう云う偶然が絶対にないと云うことが出来ない事だ。何でも一度は疑って見る、之が所謂《いわゆる》刑事眼で、又刑事たるものは当然、然《しか》あるべきなんだが、之が刑事が世間から爪弾きされる一つの原因になっているんだから困るよ。職業は神聖である。刑事も一つの職業である。刑事たるものは絶えず
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