人を疑わねばならない、だから人を疑うのは刑事としては神聖な訳じゃないか。ハヽヽヽ」
「君の云う通りだ。ハヽヽヽ。然しね君、支倉のような遣方《やりかた》では刑事ならずとも疑わざるを得んじゃないか」
「全くだ」
 根岸はうなずいた。
「そこで一つその三度の火事についても一つ疑って見ようじゃないか」
 根岸は腕を組んで考え込んだが暫くすると元気よく云った。
「神田に居た時の火事には誰か支倉の隣の人を犯人だと云って密告したと云うじゃないか」
「そうだ」
「犯人は往々|無辜《むこ》の人を犯人だと云って指摘するものだよ。それがね時に嫌疑を避けるのに非常に有効なんだ。こんな他愛もない方法で、仲々胡魔化されるんだよ」
「じゃ、密告した奴が怪しいと云う訳だね」
「所でね。犯人と目指されている男を弁護する奴に往々真犯人があるのだ」
「と云うと」
 石子刑事は鳥渡《ちょっと》分らなかった。
「支倉はその密告された隣の男を貰い下げに行ったと云うじゃないか」
「うん」
「好《い》いかね。保険金詐取の目的で自宅へ放火する。そして隣人を密告する。密告して置いて素知らぬ顔で、そんな事をする人ではありませんと云って貰い下げに行く。どうだい、嫌疑を避けるには巧妙な方法じゃないか」
「成程、では支倉が――」
 石子が云い続けようとすると、一人の刑事が顔色を変えて飛び込んで来た。
「今支倉の隣家から電話で、支倉の家から荷物を積み出したそうです」
「何っ!」
 根岸刑事は飛び上がった。

 支倉《はせくら》の家から荷物を積み出したと云う隣家からの報告を聞いて、根岸刑事は勇躍した。
「君、兎に角運送店の名前をしっかり見といて貰うように云って呉れ給え」
 電話を聞いた刑事にそう云うと、根岸は石子の方を向いて云った。
「石子君、荷物の追跡だ。第一に運送店を突留めるのだ」
 分り切った事まで指図がましく云う根岸の言葉は決して愉快ではなかったが、今の石子刑事にはそんな事を考えている余裕がなかった。彼は折好く居合した渡辺刑事と一緒に足取も軽く、今度こそは逃さないぞと云う意気込で三光町に出かけた。
 隣家について聞いて見ると、出した荷物は支那鞄に柳行李《やなぎごうり》合せて四、五個らしく、手荷車で引出したのだが、さて運送店の事になると少しも手懸りがない。引出す所を目撃していたと云う女中にいろ/\聞いて見たが、半纏《はんてん》の印《しるし》さえ覚えていないのだ。只提灯は確になかったと云うから、そう遠くへは運び出したとは思われぬ。
「何か覚えていませんか。一寸した事でも好いんですが」
 石子は一生懸命に聞いた。
「何でも好いんです。何か目印になるようなものはありませんでしたか」
 女中は泣出しそうな顔になってじっと考えて居たが、やがて細い声で切々《きれ/″\》に答えた。
「半纏の背中が字でなくって赤い絵のようなものが描いてありました。背の低いずんぐり肥った人でした」
「どっちの方から来てどっちへ行きましたか」
「来たのは大崎の方からでした。行ったのはあっちです」
 女中は市内の方を指し示した。
「仕方がない、大崎方面の運送屋を片端から調べよう。未だ帰っていないかも知れないが」
 石子は渡辺刑事の方を向いて云った。
 二人は別れ/\に運送店を物色し始めた。
 大崎駅附近を受持った石子刑事は、取り敢ず一軒の大きな運送店に這入った。
「僕はこう云うものですがね」
 石子は肩書つきの名刺を出しながら、
「今日三光町の方へ車を出さなかったかね」
 せっせと荷造りをしながらわい/\騒いでいた人夫達はピタリと話を止めると、ジロ/\と石子を眺めた。
「宅じゃありませんね」
 やがて中の一人がブッキラ棒に答えた。
「この辺の運送店で背の低い、ずんぐり肥えた人のいる所はありませんか」
「知りませんね」
 対手は相変らず素気なく答えた。人夫達は荷造りの手を止めると、思い/\に腰を下して、外方《そと》を向きながら煙草を吸い出した。
「分らないかね」
 石子は落胆《がっかり》したように、
「困ったなあ、少し調べたい事があるんだがね。まあ一服さして貰おうか」
 独言のように云いながら、彼は土間の一隅に腰を下した。人夫達は、敵意のある眼で彼を盗み見た。
「少いけれどもね、之で一つお茶菓子でも買って呉れないか」
 石子刑事は一円紙幣を出した。薄給の刑事で限られた軽少な手当から、之だけの金を出すのは辛かったが、彼等に親しく口を開かせるのには有効な方法で、彼は度々この方法で成功したのだった。
 車座となって番茶の出がらしを啜りながら、石子の御馳走の餠菓子を撮《つま》んで雑談に耽っているうちに彼等はだん/\打解けて来た。

「背の低い肥った運送人、どうも知りませんね。お前どうだい」
 人夫の一人は云った。
「この辺にはどう
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