い。この遺書は或る人に託して、僕が死ねば直ぐ君の手許に届くようにして置く。生きているうちに告白の出来なかった僕の卑怯を許して呉れ給え。
野村君、実は重明は朝子の子ではないのだ。むろん僕の子でもない。全く他人の子なんだ。
他人の子といっても、血は続いている。いつか君と口論をしたのを覚えているだろう。あの時に話に出た僕の祖父の弟の曾孫《そうそん》なんだ。
祖父の弟は分家して二川姓を名乗り二男二女があった。僕は出来得る限り男系を辿って行ったのだが、長男は二川家を継いだが、その子供は女ばかしで、僕などと違って、二川家に執着はなかったと見えて、みんな他家に縁づけて終《しま》った。従って、二川家は絶えたわけである。
二男の方は京都でも有数の旧家で、当時大きな呉服店だった高本という家に養子に行った。そこで彼は一男三女を挙げた。どうも二川の血統には男が少いのは奇妙である。その男が高本安蔵《たかもとやすぞう》といって、当時は未だ生きていた。この男は僕の再従兄弟《またいとこ》に当って、法律上の親族ではあるが、戸主であるし、僕より年長で、養子にすることは出来ない。又しようとも思わない。
高本家は祖父の弟が養子に行った当時は、頗《すこぶ》る盛大だったが、その後間もなく家産が傾き始め、長男の代にはもういけなくなった。然し、未だ旧家の余勢で、その子の安蔵の所へは、公家の某家から片づいている。然し、家の方は僕が発見した時にはもう身代限りをして跡かたもなく、陋巷《ろうこう》に窮迫しているという有様だった。而《しか》も、安蔵は病の床に伏し、妻の清子は身重だった。
二人はだから、僕の願いを直ぐ聞入れて呉れた。
他には別に面倒はなかった。
先ず朝子を妊娠と称して、京都にやり、高本の子供の生れるのを待っていた。
幸か不幸か、安蔵は間もなく死んだので、この事を知っているのは、僕達夫妻と、お清と、たった一人の産婆だけである。産婆も然し、僕達の届出については全然関知しない。それに、今や、君を加えた訳である。
お清は既にお察しの事と思うが、重明についていた乳母である。重明は生みの親に育てられたともいえるのだ。血続きとはいいながら、重明は僕にそっくりだった。その事が僕をどんなに喜ばしたか、君はよく知って呉れている筈だ。
お清は余り長くつけて置いては悪いと思って、適当な時機に暇を与え、一生を楽に暮せるようにしてやろうと思っている。もしそれまでに僕が死ねば、朝子がそうするだろう。
この遺書の事は朝子に全然いっていない。だから、大へん勝手な願いであるけれども、何か事が起って、君の力を借りなければならなくなるまで、君はこの事は知らないふりをしていて呉れ給え。むろん、そういう事をする君ではないと思うが、僕は重明の夢を破りたくない。彼は朝子を母と信じているのだ。朝子も本当に我子のように思っている。
出来るならば、この秘密は永久に葬って終《しま》いたいと思う。今までの関係者以外に洩れないで、関係者達もそのまゝ墓場へ持って行けるように、僕は心の底から祈っているのだ。
万々一、何か起った時に、頼みにするのは君一人だ。その時こそ、どうか朝子の力になって、世間に洩れないように処理して呉れ給え。
生前は我まゝばかりいって済まなかった。死後も尚君の友情に頼らなくてはならない僕を哀れに思って、許して呉れ給え。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]二川重行拝
二川重行の告白書を読み終った時に、野村は恰度重明の自殺の報を見た時と同じような、いい現わすことの出来ない焦燥を感じた。
初め母親から父の遺書を渡された時に、それが何か二川家の秘密に関するものであることは直ぐ察せられたし、年代順に読んで行って、それが重明に関するものであることも大体は推察された。然し、重明が父の重行によく似ていた点や、重行が溺愛していた点から、重行の子である事は疑わなかったのだったが、何ぞ図らん、彼は全然他人の子であった。而《しか》も、乳母として、お清さんと呼び、確か重明が十か十一の年までまめ/\しく仕えていた所の女が、彼の実母であったのだ!
野村の脳裡には、蒼醒めた顔をして、言葉少なに、然し、重明を、十分愛していた母の朝子の姿と、健康そうな生々《いき/\》とした、然し、大へん優しくて、重明に対して忠実だったお清の姿とが、重なり合い、混り合った。
(重明はこの事を知っていたのだろうか)
この事が十分の秘密を保たれていた事は疑うまでもない。重明はむろん関係者の口から秘密を語られた気遣いはないであろう。然し、重明は感じはしなかったろうか。
幼少の時ならば知らず、相当の年齢に達した時には、母と仰《あお》いでいる人が、自分の生みの母親でない場合、その事は、何となく察せられるものではなかろうか。少くとも、重明はそんな疑いを持って、悶えていたのではなかろうか。
然し、重明は真逆《まさか》父を疑ってはいなかったであろう。重行の子と信じていたに違いない。又、乳母のお清を真実の母だなんて、夢にも考えていなかったろう。むろん、彼は十か十一の時まで彼の側にいた乳母を忘れはしなかったろう。時々は思出したに違いない。そうして過去の甘酸ぱい思出に耽った事であろう。然し、恐らく一回だって、真実の母として考えた事はないだろう。
野村は暫く先の方を読むのを忘れて、感慨に耽った。それはよく世間にある例だった。二川家の場合は、それが華族という約束に縛られて、表向き養子にすることが出来ず止むなくやった事であるが、世間では表向き養子に出来るにも係らず、子供が成長してから可哀想だという意味で、貰い子を自分達の真の子のように入籍して終うのだ。然し、それが果して真の子供を愛する所以であるかどうかは疑問だ。子供が教えられたり、悟ったりして、真実を知った場合は、今まで隠していたゞけ、反《かえ》って悪い影響が残るし、そうはっきりしない場合、子供が疑念を持ち、それに悩まされ続けるような事があったら、それは子供を終生苦しめるものではないか。然し、或場合には、子供は何の悟る事なしに、何の疑うことなしに、真の両親と信じて幸福であり得るかも知れぬ。世の多くの人達は、そういう幾パーセントかの幸福であり得る場合に望みをかけて、戸籍法違反を敢《あえ》てするのかも知れない。
世間に、より多い例は、両親のうち片親が――大抵は父親であるが――真実の親であって、一方の親はそうでないにも係らず、その両親の真の子として届ける事である。この場合は、前の場合よりも、より複雑な関係があり、そうしなければならない事情は、より切実であるといえる。然し、そうしたからくり[#「からくり」に傍点]は子供の将来に悲劇を齎《もた》らさないとは断言出来ないであろう。
ふと気がつくと、午後の日ざしは大分傾いて、割に涼しい風が吹いていたにも係らず、野村の身体は、恰《まる》で雨にうたれたかのように、汗でグッショリだった。然し、彼はそれを拭おうともせず、次の方に読み進んだ。
二川子爵の告白書の次は、父の手記と、告訴状や抗告書などの写しとの錯綜だった。
之で見ると、二川家では早くも悲劇が訪れたらしい。
重行が死んで、五歳の重明が家督相続届を出した時に、突然、関西方面を放浪していた叔父の重武が上京して来た。そうして、彼は先ず未亡人朝子に難題を吹きかけたらしい。それが拒絶されると、彼は矢継早やに地方裁判所や区裁判所や戸籍役場に訴えを起したのだった。
彼は重明の出生届を虚偽の届出であるとして、朝子に妊娠の能力なき事、妊娠分娩を証明すべきものなきこと、重明の真の父母は、高本安蔵とお清なること、等々を書並べて、区裁判所に、二川家の戸籍法違反の告発をなし、一方戸籍役場には、法律上許すべからざる記載として、戸籍簿の訂正を申請した。他方には又、地方裁判所に、重明の相続無効の訴訟を提起したのだった。
野村の父は、重行の死後の依頼を余りにも早く果さなければならなかったのだった。
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重行の告白書を読み終った時に、余りの意外さに、暫くは唖然とした。彼は巧みに僕を欺いていたのだ。僕は鳥渡《ちょっと》立腹した。然し、直ぐに彼に同情した。善悪は兎に角、そうしなければならなかった彼の心情を憐む他はないのだ。
然し、余りにも早く彼の恐れていたものが来たのには、之亦《これまた》驚くの他はなかった。
[#ここで字下げ終わり]
当時の事を野村の父はこう書いていた。
野村の父が何よりも苦心したのは、この事を絶対秘密裏に処理することだった。それがどんなにむずかしい事であったろうかは、察するに余りあることだ、そうして彼はそれに十分成功したらしい。今から二十四五年以前の事で、新聞紙も今ほど機敏ではなかったろうが、一方にはこんな事を喜んで書き立てる赤新聞もあったろうに、嗅ぎつけられもせず、よし嗅ぎつけられたとしても、それを紙上に出させなかったのは、確かに特筆すべき野村の父の功績といっていゝ、全くこの事は少しも世間に洩れないで済んだらしいのだ。
一方には又、お清の文字通りの献身的な努力もあったらしい。彼女は重武と刺違って死のうとさえいい、又実行しかねない勢だった。この事を野村の父は「真に烈女というべし」といって感嘆している。今日の言葉でいえば所謂母性愛の発露であろうが、二川家の存亡に関することでもあり、朝子未亡人には重大な影響のあることでもあり、お清は猛然奮い起《た》ったものらしい。
[#ここから2字下げ]
僕は何とかして重武の訴訟その他の抗告申請を取消させようと試みた。然し、彼は頑として応じない。彼にして見れば、この事にして成功せんか、一躍子爵の栄誉と巨万の富を得る事も不可能ではないのだから、強腰《つよごし》たらざるを得ないのだ。それに重行には圧迫された恨みも手伝っているし、生中《なまなか》な事でウンといわないのも無理もないのだ。
僕の最も恐れたのは、事が長びくと外部に洩れる可能性が大きくなることだった。幸いに重武は単独で秘密を察したので、彼以外には未だ知るものはないのだ。
僕はもう万策尽きた。到底取下げさせるという事は出来ないから、重武も別に動かすべからざる証拠を持っている訳ではなし、この上は最早法廷で争って、勝つより仕方がないとまで腹を決めた、その時に、この問題では誰よりも必死になっていたお清さんが、「|以[#レ]毒《どくをもって》|制[#レ]毒《どくをせいす》」の方法を考えついたのだった。つまり、重武はあゝいう生活をしていたのだから、きっと何か悪いことをしているに違いない。それを探り出して、首の根っ子を押えて、交換条件にして、取下げさせようというのだ。
この方法は紳士的でない。僕の主義として、賛成出来ないのだが、背に腹は変えられぬ。殊に相手が非紳士的なのだから、止むを得ない所もあるのだ。そこで、僕はとうとう同意して、至急に重武の旧悪を探偵させる事にした。
[#ここで字下げ終わり]
野村の父は遂いに窮余の策として、お清の提案たる「以[#レ]毒制[#レ]毒」の方法に同意したのだ。
二川重武は多く関西方面にいたから、大阪の有名な私立探偵社の社長砂山二郎が、その為に選ばれることになった。
所がこの謀計《はかりごと》は正に図に当ったらしいのだ。というのは、それから間もなく、重武はあっさりすぐこの訴訟抗告を取下げているのだ。検事の方でも、元々一家内の事だし、原告側にも確証はない、裁判にでもなると大へん面倒な事なので、原告が取下げたのを幸いに、不問にしたらしいのだ。
書類の中に、砂山秘密探偵社の大きな封筒があって、「二川重武の調査報告」と書かれていたので、野村はやゝ胸をときめかしながら、それを開けたが、失望した事には中味は空だった。父の日記の方を見ると、
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重武に関する調査報告書は本日重武に交付せり。
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と書いてあった。思うに重武は交換条件の一つとして、その調査書の原本も複製も残らず、彼の手に収める事にしたのだろ
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