の血続きなら、君の祖父さんの弟の孫を探し出して、後を譲るより仕方がない」
二川は暫く考えていたが、
「同族以外から養子をするには、仮令《たとえ》血続きでも、法律上の親族でなければいけないのだね」
「その通りだ」
「じゃ、君こういう方法はどうだ」と、二川は急に眼を異様に光らして、「祖父さんの弟の孫の子を、朝子の子にして届けるのだ。そうすれば血統を絶やさないで済む」
「戸籍法違反だ」
「然し、それ以外に方法がない」
「僕は顧問弁護士として、犯罪になることに加担は出来ん」
「然し、僕は法律というものは人情を無視して成立するものではないと思う。僕が二川家の血統を絶やしたくないと思うのも、無頼の重武如きに家を譲りたくないのも、無理のない人情じゃないか」
「――」
「華族でなければ、今いった子供をいつでも養子に出来るのだ。たゞ、法律上の親族でない為に――」
「僕は同意出来んよ。君がそうしたいという事には同感もし、同情するが、その事は中々難事業だよ。第一、相手の夫婦の承諾を要するし、産婆とか看護婦とか、乃至《ないし》医師にも口留めをしなければならんし、それに奥さんが承知されるかどうか、それも疑問だ」
「朝子は僕のいう通りになるよ。僕はあれ[#「あれ」に傍点]を幸福にしてやりたいと思ってするんだから」
「そういう事が幸福になるかどうか分らんよ。大抵はむしろ不幸に終るものだ」
こゝまでいった時に、僕は二川の顔色が次第に険悪になって、唇をブル/\と顫わせているのに気がついた。僕は了《しま》ったと思って、幾分|宥《なだ》めるつもりで、
「然し――」
といいかけたが、時既に遅かった。
二川の癇癪は猛然破烈したのだった。
「よしッ、君などはもう頼まぬ。今日限り絶交だッ」
僕はこうなっては負けていなかった。
「犯罪に加担しないといって、絶交されるのなら、むしろ光栄だッ」
二川は憤怒で口が利けなかった。(後で考えたのだが、よくこの時に心臓の故障が起らなかったと思う。あんなに怒らすのではなかった)
彼は猛然として、外へ飛出して行った。
彼が去った後、暫く気持が悪かった。
本当に之で絶交になれば、大へん淋しい事だと思った。
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之で、この時の手記は終っていた。
次は一年半ばかり経った時の日記で、恰度野村達の生れる前後のものである。之で見ると、野村の父は前の事件以後一年ばかりは、重行と絶交状態らしかった。
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今日久し振りで二川を訪ねた。
変な羽目で喧嘩別れをしてから、一年ばかりは全く絶交状態だった。その間にも、時々懐しくなったり、済まないような気になったりした。こっちから頭を下げて行くのは業腹《ごうはら》だから、じっと辛抱していた。後で聞いて見ると、向うでもやっぱり同じような気持だったらしい。
その後半年ばかりの間に、集会の席で二三度会った。別に睨み合っていたという訳ではないが、それでも打解けなかった。
今日はとうとう耐らなくなって、彼の家を訪ねたのである。
最初は何となく気拙《きまず》かったが、暫く話しをしているうちに、やはり古い馴染というものは有難いものだ。いつの間にか障壁がとれて、もう昔の通り、君僕の会話になっていた。
二川は顔色が少し悪く、健康状態はよくないらしかったが、予想以上に元気だった。朝子さんの姿が見えないので、
「奥さんは?」と訊くと、
「京都の里へ養生に行っているよ」
朝子さんの里は京都の或る公家《くげ》なのだ。
「どう悪いんだい」
「なに、大した事じゃないんだ」
と、二川、僕の視線を眩《まぶ》しそうに避けて、話したくない様子なのだ。仲直りをして早々《そう/\》、又気持を悪くさせてもいけないと思って、僕は直ぐ話題を変えた。
「弟はどうしている?」
「重武か」と、二川は吐き出すようにいって、「奴は相変らずだ。住所も定めずにうろつき廻っているが、感心に金だけはキチンと要求して来るよ」
「山登りを始めたというじゃないか」
「ウン、二三年来、日本アルプスとかいって、信州や飛騨の山を歩いているらしい。東京にいて女狂いや詐欺みたいな事をされるより勝《ま》しだと思っているんだ」
「そうとも、重武君もそうやって、登山なんか始めた所を見ると、性根が直ったのじゃないかね」
「駄目だよ。あの腐った性根は死ぬまで直りっこないよ。遇《たま》に神妙にしていると思えば、きっと何か企んでいるんだからね。僕はあれ[#「あれ」に傍点]が谷にでも落ちて死んで終《しま》えばいゝと思っているよ」
重武の話で、彼は又そろ/\不機嫌になって来たので、再び話題を転じて、毒にも薬にもならない世間話をしていゝ加減の所で切上げて来た。
帰りがけに彼は機嫌よく、
「又、ちょい/\来て呉れ給え。それから顧問弁護士の方も頼むよ」
といった。
顧問弁護士の方は兎も角、仲直りが出来て大へんよかったと思った。
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次はそれから二三ヶ月経った頃の日記だった。
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今日二川の事をよく知っている男から、二川の細君は妊娠して、その養生の為京都の里に行っているという事を聞いた。
僕は鳥渡意外に思った。といって、細君が妊娠した事を意外に思ったのではない。結婚後十数年経って、初めて子供の出来た例は乏しくないのだから、少しも不思議はない所《どころ》か、大変|目出度《めでた》いと思うのだが、何故二川がその事を僕に隠したのか、鳥渡解せないのだ。先年あんな事で喧嘩別れになったので、いい悪《にく》かったのか、それともその時になって発表して驚かそうというのか、どっちかだろう。道理で中々元気があると思った。
此間会った時に、その事をいって呉れゝば、恰度僕の所も家内が妊娠中で、僕の所は初産ではないけれども、上は亡くなしているから、まア初めて見たいなもので、共に祝い合う事が出来たのに、一体どっちが先に生れるのだろう。
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年を繰って見ると、野村が生れた年は父は三十三歳だった。日記にも書いてある通り、上の子が夭折《ようせつ》したので、生れて来る子供に対して、父が大へん喜んでいる有様がよく分るので野村は思わず微笑んだ。
次の手記はいよ/\二川重明が生れた時の事で、之で見ると、重行が子供を得た喜びが、野村の父のそれより遙かに勝っていた事が分るのだった。重明の生れたのが、野村より一月ばかり早かった事は、既に野村のよく知っている事だった。
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二川の子供が生れた。僕の方は一月ほど後らしい。
子供が生れたという報を受取って、京都へ飛んで行き、やがて帰って来た時の、彼の歓喜雀躍ぶりは到底筆紙に尽せる所ではなかった。
僕が喜びに行くと、彼は僕に抱きつかんばかりにして、
「君、君、男の子だよ。ぼ、僕にそっくりなんで。そりァとてもよく似ているぜ。君は信じないだろうけれども」
「え、僕が信じないって、そりァ、どういう意味だ」
僕は彼が変な事をいうので、急いで訊き返したが、彼はもう夢中で、
「いやさ、君が信じようが信じまいが、僕の子供は僕にそっくりなんだぜ、丸々と肥った色の白い、とてもいゝ子なんだ」
「二川家も之で万々歳だね」
「そうだとも。もう大丈夫だ。重武なんかに指一本指させる事はない。朝子もどんなに仕合せだか分りやしない」
「奥さんも喜んだろうね」
「僕が躍り上って喜ぶのを見て、泣いていたよ」
「所でだがね」
僕は重武の名が出たので、ふと思いついて、
「もう君も後継が出来たから安心だし、重武君もこの頃は大分身持も直ったようだし、目出度い事のあったのを幸いに、勘当を許して、東京に住むようにして上げたらどうだ」
僕は多分二川は嫌な顔をするだろうと思ったが、案外しんみりとして、
「うん、朝子もそういうのだ。僕アもう五年ばかり会わんからなア」
重武は重行の父重和が芸者を妾にして生ませた子で、それだから、重行がひどく嫌うのだが、元からそう悪い人間ではなかった。重武は十一の年に認知されて、二川家に引取られたが、父の重和は間もなく死ぬし、引取られた時には重行はもう二十一で、始めから反感を持っていたし、重武の方にも僻《ひが》みがあったし、それに何といっても行儀などは出来ていないので、召使までが蔭口をいうような有様で、重武を不良にしたのは、重行始め周囲のものの責任ともいえるのだ。
重武は十八の年にはもう女と酒を知って、身を持崩し、二川家を飛出して、それから兄の名を騙《かた》って、方々で金を借り倒し、危く刑法に触れる事まで仕出かして、二十の年に放浪の旅に出て、爾来三年間、時々兄に無心を吹きかけては、旅を続けているのだった。
重行はいい続けた。
「もうあれ[#「あれ」に傍点]に勝手な事をされる心配もないし、許してやってもいゝとは思っているんだが、まア考えて置こう」
僕はそれ以上追及せずに帰って来た。
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次の日記はそれから二三ヶ月経ったもので、野村は既に生れていたのである。
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どうも二川の溺愛ぶりには恐れ入った。僕もむろん生れた子を可愛いとは思うが、二川の真似は出来ない。彼は恰《まる》で外の事を忘れている。明けても暮れても、赤ン坊の顔ばかり眺めているのだ。あの若さで、子爵の御前が、不器用な手つきで赤ン坊を抱いて、あやしている姿は天下の珍景だ。
然し、僕は二川が新たに生れた子供に対する態度を通じて、彼がどんなに妻を熱愛しているかを知る事が出来る。全く彼が子供を得た喜びの半分は、彼の亡き後に妻が頼って行くものが出来たという事にあるのだ。彼は飽くまで自分を短命なものと信じている。
朝子さんの献身的態度にも敬服する他はない。流石《さすが》は公家の出である。病弱の身体で、あの気紛れな――今は大へんよくなったが――癇癪持ちの夫に仕えて、些《いさゝか》の不満も現わさず、唯々諾々として忠実を守っている姿は涙ぐましいものがある。兎に角、立派な夫婦だ、それに子供は出来たし、もう重武などを少しも恐れる所はないだろう。そういえば、重武は近々上京するという手紙を寄越したそうだが、仮令《たとえ》彼が東京で住む事になっても、二川家には大した波瀾は起らないだろうと思う。
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それから暫くは、二川家は泰平だったらしい。重明が歩き出すようになり、片言を喋るようになる時分に、野村はその遊び相手として、度々二川家に行った訳である。その時の事はむろん野村の記憶にはないが、時々はひどく掴み合ったそうで、成人してからは逆になったが、当時は二川の方が肥っていて力が強く、野村の方が分《ぶ》が悪かったらしい。掴み合いが始まると、むろん乳母はあわてゝ仲裁したに違いない。
重武が上京したかどうかについては記録はないが、重行の葬式当日重武がいた記憶が野村にはないから、上京しなかったか、上京しても直ぐ又旅に出たものと思われるのだ。
かくして、四五年の平和が続いた後に重行の急死となったのだった。
野村はホッと一息した。そうして、次の書類を取上げたがそれは重行が野村に送った遺書だった。
四
二川重行の遺書は彼の死後、直ぐに野村の父に送られたものらしく、読んで行くうちに、それが思いがけなく重大な告白だったので、野村は次第に昂奮を覚えて来た。
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親愛なる野村儀造君
君も知られる通り、僕は心臓に故障があるから、いつ死ぬか分らぬ。実は死ぬまでにこの告白を君にだけして置くべきであるが、僕にはそれが出来なかった。本当の事をいえば、僕は死んだ後も、君にこの事を知られたくはないのだ。然し、どうかすると重武が薄々感づいたかも知れぬ。仮令《たとえ》今は感づかなくても、あゝいう奴だから、いつ感づくか知れない。それも僕が生きていれば、大して恐れはしないが、死んだ後になって、どんな難題を朝子に吹きかけるか知れぬ。その時に朝子の力になって呉れるのは君一人だ。だから君にはどうしても隠すことは出来な
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