ので、誰でも鳥渡頂上へ行って見たくなる。今いう旅人もそれで、野麦峠からふと乗鞍に登りたくなってやって来た。所が急に雨に会うて、生命から/″\小屋に逃げ込んで来たちゅう訳やったそうだす。
 この雨が中々晴れまへン。四五日籠城していますうちに食糧が心配になって来ました。そこで、晴間を見て、馴れた人夫が平湯まで食糧を取りにおりました。その留守の事だすが、茲《こゝ》に逃げ込んで来た旅人が、クレバスの中に落ちて、行方が分らなくなった椿事《ちんじ》が持ち上りました。
 この時の事を私は何とかして委《くわ》しゅう調べよ思うて、随分苦心しましたけンど、恰度その当時居合した人夫が、死んだり、他所《よそ》へ行ったりして、一人もおりまへん。平湯へ食糧を取りにおりた人夫はおりましたけンど、之は現場に居合さんのやよって、はっきりした事はいえまへん。歯痒《はがゆ》うてしようがおまへなンだが、結局、名前も住んでる所も何も分らん男が一人、雪と雪との間の亀裂《ひゞ》に落ちて死んだちゅう事だけで、委しい事は一向分りまへなンだ。
 で、つまる所、私が態々《わざ/\》乗鞍岳へ登って、得て来たちゅうものは、この一つだけだすが、
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