時とは、えらい違いだす。
 和武の登った路は、島々ちゅう所から、梓川《あずさがわ》ちゅう川に沿うて、野麦街道から奈川渡《なかわど》に出て、そこから、大野川に行って、山にかゝり、降りる時は、飛騨側の北平《きたゞいら》の雪渓を渡って、平湯鉱山から平湯に出て、それから高山へ出たらしいのだす。私もその通り行くことにしました。
 登り路は只《たゞ》えらいだけで、別にお話しはございまへん。えゝ景色やなアと思う所もおましたが、辛い方が主で、私は仕事で登りますのやさかい、仕方がありまへんが、こんな所へ楽しみで登らはるとは、一体どういう気やろと、つく/″\思いました。
 和武の登ったのは、もう四五年も以前の事だしたけれども、当時は滅多に人の行く所ではありまへんから、人夫達はよう覚えておりました。けンど、今いいました通り格別の話もなく、無事に頂上につきました。それからいよ/\降《くだ》りだすが、この雪渓渡りちゅうのが、大へんにも何にも、全く生命がけだす。今考えて見てもゾッとするほどで、一ぺん渡ったらどこまで行くか分らず、所々に、クレバスちゅうて、積った雪と雪の間に、大きな亀裂《ひゞ》がおまして、そこへ落ち
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