のを余《あま》り好《この》まなかった。野村は別に二川を友達に持っていることを、誇《ほこ》りとも、恥とも思っていないし、二川を格別尊敬も軽蔑もしていないのだが、それを変に歪めて考えられることは、少し不愉快だった。
それに、野村と二川とは性格が正反対といっていゝほどで野村は極《ご》く陽気な性質《たち》だったし、二川は煮え切らない引込思案の男だった。この二人が親しくしていたのは、性格の相違とか、地位の相違とかを超越した歴史によったものだった。
というのは、二川重明の亡父|重行《しげゆき》は、やはりもう故人になった野村儀作の父|儀造《ぎぞう》と、幼《ちいさ》い時からの学校友達であり、後年儀造は二川家の顧問弁護士でもあった。そんな関係で、野村と二川は極《ご》く幼い時から親しくし、小学校は学習院で、同級だったし、中学では別れたが、後に帝大で科は違うが、又顔を合せたりして、学校の違う間も互に往来《ゆきゝ》はしていたのでいわば親譲りの友人だった。卒業後は野村もあまり暇がないので、そう繁々《しげ/\》と二川を訪問することは出来なかったが、二川には野村が唯一人といっていゝ友人だったので、既に父も母も失
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