ょく》の途《みち》が巧みだったと見えて、今では華族中でも屈指の富豪だった。然《しか》し、当主の重明は未《いま》だやっと二十八歳の青年で、事業などにはてんで興味がなく、帝大の文科を出てからは、殆《ほとん》ど家の中にばかり閉じ籠っているような、どっちかというと偏屈者だったが、それが何と思ったか、三千メートル近い高山の雪渓の発掘を始めたのだから、新聞が面白|可笑《おか》しく書き立てたのは無理のないことである。
二川重明の唯一の友人といっていゝ野村儀作は重明と同年に帝大の法科を出て、父の業を継いで弁護士になり、今は或る先輩の事務所で見習い中だが、この頃学校時代の悪友達に会うと、直《す》ぐ二川重明の事でひやかされるのには閉口した。
野村の悪友達は、二川の事を野村にいう場合には、極って、「お前《めえ》の華族の友達」といった。この言葉は、親しい友達の間で行われる、相手を嫌がらせて喜ぶ皮肉たっぷりのユーモアでもあるが、同時に、彼等が「華族」というものに対する或る解釈――恐らくは羨望と軽侮との交錯――を表明しているのでもあることを、野村はよく知っていた。
それで、野村は悪友達から二川の事をいわれる
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