約束したちゅう話を聞きました。
 それから私は北の新地へ行きましたな。何しろ、費用はなんぼでも出るし、こんな機会に遊んどかんと、又とでけ[#「でけ」に傍点]るこっちゃおまへんからな。所が、和武が北の新地で遊んだちゅうのは、四五年ももっと以前の話で、若い妓は一向知りまへなんだが、年増芸者は直ぐにうなずいて、「花江はんが可哀そうやわ」ちゅうほど、当時はこの世界で有名な事やったらしいのです。
 その花江ちゅう妓は、一旦引いて、二度の勤めで、照奴《てるやっこ》いうてました。もう二十四五で、年増盛りという所、早速呼びましたが、この妓の綺麗なンには驚きました。全く絵に書いた美人そっくりですな。面長で色が白うて、木目が細こうて、何ともいえん品があって、どこに一つの非のうち所がおまへん、之なら華族さんの奥さんいうても、誰でも承知するやろと思われるような女子《おなご》だした。
 この女子が又、顔で分るように芸者に似合ぬ人格者だしてな、中々昔の話をしまへん。けンど私も根気ようかゝりましてな、傍《はた》から聞いたり、本人の口からボツ/\探り出したりして、和武との関係を大体の所察することがでけ[#「でけ」に傍点]ました。
 和武は東京を飛び出して、関西に来ると間もなく、花江と馴染になったらしいのだす。和武はやっと二十で、花江は未だ十五か十六、むろん舞妓の時代だす。その時分の事をよう知っている者に聞きますと、当時の二人は恰《まる》でお雛さま見たいやったそうだす。私の観測はやっぱり当ってましたンやな。和武ちゅう人は流石に華族の坊ちゃんらしく、大人しゅうて品があって、口数も至って少なかったそうです。全く、一時の迷いでグレたんだすな。きっと悪い奴があって、不良の仲間に引込んだンだすやろ。子爵家で思っているほど、ひどい事をしたンやなかろうと思います。よし、したにせよ、それは本人の意志ではのうて、取巻連のした事やないかと思います。花江との間は、全く客と芸者と離れた本まの恋仲らしかったのだす。花江の方はそれこそ、処女の純情を捧げていたのだすな。
 その時の事を述懐して、花江の照奴はつく/″\いいました。「ホンマに考えて見ると夢のようだす。あたいも阿呆やったんだす。思うことの半分は愚か、十分の一もよういわんと、いわば雲の上の花でも見てるように、うっとりと眺めていたンだすわ」
 こうして、二人の関係は五年間続いたのだす。その間に花江は一本になり、いつか二人は互に許すようになって、末は夫婦と固く誓うたのでした。
 和武の二十三か四の年に、前にいったように、子爵家に和明ちゅう子供が生れて、子爵家でも和武の固うなったのを認めたと見えて、東京へ帰って来いといって来たのです。その時に和武は大へん喜んだそうで。照奴はその時のことをこういうて話しました。
「かーはんはえらい喜びようで、花江、とうとう僕も東京に帰れるようになった。僕は妾《めかけ》の子で、その為にどれだけ苦労したか知れないから、お前を日蔭者にはしとうない。といって、東京の兄さんは固い一方で、芸者なんて、頭から汚れたものだと思ってる。僕は何とかして君を引かそう。そうして、一年なり二年なり、堅気で暮して、然るべき人に口を利いて貰って、兄の許しを得て晴れて夫婦になろう。ね、そうしようね、とこういやはりました。うちも嬉しゅうて、本まにその時は泣きましたわ。うちは今でも、かーはんがその時に嘘をいやはったとは、どうしても思われまへん。その時に恰度山の方へ行く事に定《きま》っていましたんで、かーはんは兎に角山に行って来る。帰って来たら、すぐ東京に行って、今いった通り運ぶよって、いうて山へ行かはりました。それきり鼬《いたち》の道だす。山から帰ったとも、東京へ行ったとも、一言もいうて来ず、むろん姿は見せはりやしまへん。それからもう五年経ちますわ。うちは一辺引きましたけンど、河育ちはやっぱり河で死ぬちゅうてな、二度の勤めだす。諦めてンのかって、諦めるよりしようがないやおまへンか。ホヽヽヽ」と、照奴は淋しく笑いましたが、この頃の言葉でいいますと、一抹の悲哀ちゅいますか、何ともいえん悲しい顔付きをしましたので、私は思わずゾッとしたのを、今でもはっきり覚えとります。
 と、この話を聞いた時に、私は之は何か訳があるなと、ピンと来ました。刑事根性といいますかな。どうも物事を真直ぐにとらなくていかんのだすが、殊《こと》にこの時は、何か持ち出そう、と、一生懸命になっている時だすから、尚更ピンと来ました。
 それほど喜んでいながら、上京しない、それほど可愛がって、夫婦とまで約束した女子《おなご》の所へ、一辺に寄りつかなくなる。之は何かあるぞと思いました。
 それからは暫く、南と北の新地にちゃんぽんに通いました。私の一生のうちで一番|華《はなや》かな時だす
前へ 次へ
全23ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
甲賀 三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング