黄鳥の嘆き
――二川家殺人事件
甲賀三郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)敵《かな》わない

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)面白|可笑《おか》しく

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]

 [#…]:返り点
 (例)以[#レ]毒

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)しげ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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          一

 秘密の上にも秘密にやった事だったが、新聞記者にかゝっちゃ敵《かな》わない、すぐ嗅ぎつけられて終《しま》った。
 子爵《ししゃく》二川重明《ふたがわしげあき》が、乗鞍岳《のりくらたけ》の飛騨側の頂上近い数百町歩の土地を買占めただけなら兎《と》に角《かく》、そこの大雪渓《だいせっけい》を人夫数十人を使って掘り始めたというのだからニュース・ヴァリュ百パーセントである。
 二川家は子爵の肩書が示している通り、大名としては六七万石の小さい方だったが、旧幕時代には裕福《ゆうふく》だった上に、明治になってからも貨殖《かしょく》の途《みち》が巧みだったと見えて、今では華族中でも屈指の富豪だった。然《しか》し、当主の重明は未《いま》だやっと二十八歳の青年で、事業などにはてんで興味がなく、帝大の文科を出てからは、殆《ほとん》ど家の中にばかり閉じ籠っているような、どっちかというと偏屈者だったが、それが何と思ったか、三千メートル近い高山の雪渓の発掘を始めたのだから、新聞が面白|可笑《おか》しく書き立てたのは無理のないことである。
 二川重明の唯一の友人といっていゝ野村儀作は重明と同年に帝大の法科を出て、父の業を継いで弁護士になり、今は或る先輩の事務所で見習い中だが、この頃学校時代の悪友達に会うと、直《す》ぐ二川重明の事でひやかされるのには閉口した。
 野村の悪友達は、二川の事を野村にいう場合には、極って、「お前《めえ》の華族の友達」といった。この言葉は、親しい友達の間で行われる、相手を嫌がらせて喜ぶ皮肉たっぷりのユーモアでもあるが、同時に、彼等が「華族」というものに対する或る解釈――恐らくは羨望と軽侮との交錯――を表明しているのでもあることを、野村はよく知っていた。
 それで、野村は悪友達から二川の事をいわれるのを余《あま》り好《この》まなかった。野村は別に二川を友達に持っていることを、誇《ほこ》りとも、恥とも思っていないし、二川を格別尊敬も軽蔑もしていないのだが、それを変に歪めて考えられることは、少し不愉快だった。
 それに、野村と二川とは性格が正反対といっていゝほどで野村は極《ご》く陽気な性質《たち》だったし、二川は煮え切らない引込思案の男だった。この二人が親しくしていたのは、性格の相違とか、地位の相違とかを超越した歴史によったものだった。
 というのは、二川重明の亡父|重行《しげゆき》は、やはりもう故人になった野村儀作の父|儀造《ぎぞう》と、幼《ちいさ》い時からの学校友達であり、後年儀造は二川家の顧問弁護士でもあった。そんな関係で、野村と二川は極《ご》く幼い時から親しくし、小学校は学習院で、同級だったし、中学では別れたが、後に帝大で科は違うが、又顔を合せたりして、学校の違う間も互に往来《ゆきゝ》はしていたのでいわば親譲りの友人だった。卒業後は野村もあまり暇がないので、そう繁々《しげ/\》と二川を訪問することは出来なかったが、二川には野村が唯一人といっていゝ友人だったので、既に父も母も失っている彼は淋しがって、電話や手紙でよく来訪を求めた。野村も二川の友人の少いのを知っているので、三度に一度は彼の要求に応じて、訪ねて行く事にしていた。
 大体そういった交友関係だったが、二川が突然変った事を始めたので、野村は悪友達の半ば嘲笑的な質問攻めに会わなければならなくなったのだった。
「オイ、お前《めえ》の華族の友達あ、日本アルプスの地ならしを始めたていじゃねえか」
「一体《いってえ》、雪を掘って、何にする気だい」
「お前《めえ》の華族の友達あ、気が違ったんじゃねえか」
 こういった質問が代表的のものだった。
 この三つの代表的質問のうち、第一は、意味のない単なるひやかしに過ぎないので、野村はたゞ苦笑を以って、報いるだけだった。
 第二の質問には、やゝ意義があった。それはひやかしのうちに、幾分の好奇心を交えて、雪渓発掘の目的を訊いているのだった。
 雪渓発掘の目的については、当の二川ははっきりした事をいわないので、憶測を交えた噂がいろ/\と伝えられた。或者《あるもの》は、鉱脈を掘り当てる為だといい、或者は温泉を掘る為だといい、或者は登山鉄道でも敷くつもりではないかといった。然し、
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