な。尤も、賄《まかない》は向う持ちで、仕事の為なんだすからあきまへんけンど。
すると、和武が南の新地に通い出したのは、この二三年のことで、山から帰ってから二三年ばかりは、先生はどこにどうしていたのか、さっぱり分りまへン。あれほど好きだった山登りもふっつり止めてることも発見しました。つまり、和武は山から帰ってから二三年ばかり、全然行方を晦《くら》ましているのだす。
私はその秘密を探り出そう思うて、浜勇と照奴の間をせっせと往来しましたが、一番変に思われて来たンは、浜勇時代の和武と照奴の花江時代の和武とは、ころッと人が違うているのだす。というても顔や形が違うてる訳やないが、性質がえらい違うてます。花江の話では、和武は会うても口数の少い品のいゝ坊ちゃんやったのが、浜勇の所では、口前のえゝ、世馴れた旦那になっています。尤もその間に五年ほど経っていますさかい、年齢の関係でそう変ったのかも知れまへんが、もう一つ可笑しいのは、浜勇は執拗《しつこ》いいやらしい人やと眉をひそめてるのに、花江の話では、そういう事には、さっぱり冷淡やったいうのです。之も年齢の関係やいうたらそれまでだすが、私はどうも変や思いました。が、私がこいつは十分調べて見る価値があると思うたのは、深い馴染の女でのうては知れん身体の特徴の事で、花江と浜勇との話に、大きな食い違いがあることだした。どうも極《きわ》どい話で恐縮だすが、こんな所まで研究せんならん探偵ちゅう商売の辛い所と、苦心せんならん所を、お認め願いたい思います。
そこで、私は和武が山から帰ってから二三年の間どこにどうしていたのか、そこに秘密があるに違いないと思うて、一生懸命に調べましたけンど、こいつが一向に分りまへん。結局山に登った前後の事まで突つめんならンようになって来ました。
和武が二十三四の時に登った山ちゅうのは、乗鞍岳だした。いよ/\こゝへ行きかけた時に、私は泣きとうなりましたな。御承知の通り乗鞍岳は御嶽さんの南にある山だして、御嶽さんよりは鳥渡低いが、三千メートル上あります。北アルプスでは一番南よりの山で、割に登りよいのだそうだすが、どうして、年中雪のある山で、えらいこと、お話しになりまへん。何しろ、今から三十年も以前の話だすさかい、道は悪いし、途中に泊る小屋はなし、私は何の因果で、探偵になったのかいな思いました。南と北の新地で浮かれていた時とは、えらい違いだす。
和武の登った路は、島々ちゅう所から、梓川《あずさがわ》ちゅう川に沿うて、野麦街道から奈川渡《なかわど》に出て、そこから、大野川に行って、山にかゝり、降りる時は、飛騨側の北平《きたゞいら》の雪渓を渡って、平湯鉱山から平湯に出て、それから高山へ出たらしいのだす。私もその通り行くことにしました。
登り路は只《たゞ》えらいだけで、別にお話しはございまへん。えゝ景色やなアと思う所もおましたが、辛い方が主で、私は仕事で登りますのやさかい、仕方がありまへんが、こんな所へ楽しみで登らはるとは、一体どういう気やろと、つく/″\思いました。
和武の登ったのは、もう四五年も以前の事だしたけれども、当時は滅多に人の行く所ではありまへんから、人夫達はよう覚えておりました。けンど、今いいました通り格別の話もなく、無事に頂上につきました。それからいよ/\降《くだ》りだすが、この雪渓渡りちゅうのが、大へんにも何にも、全く生命がけだす。今考えて見てもゾッとするほどで、一ぺん渡ったらどこまで行くか分らず、所々に、クレバスちゅうて、積った雪と雪の間に、大きな亀裂《ひゞ》がおまして、そこへ落ちたら、お終いだす。それに恰度|雪崩《なだれ》の心配のおます時で、えらい時期が悪いのやそうです。そんな事を知らんと、むちゃくちゃに来たような訳で、飛騨の方へ降りる時は、全く何べん生命はないものと思うたかしれまへん。
飛騨へ降りる時には予《あらかじ》めうち合せて置いて、飛騨の人夫に変った訳だしたが、この人夫の口から、和武の事について、新しい事実を聞き出す事がでけ[#「でけ」に傍点]ました。それは何やいうと、こゝで和武の一行は遭難したんだンな。
和武の一行は頂上近くで、突然吹雪交りの雨に会うて、動けなくなったのだす。頂上から北平の雪渓の方へ鳥渡降りた所に、小屋がおましたので、一行はそこへ避難しました。すると、間もなく飛騨の方から人夫も連れずに、たった一人で登って来た男がありまして、小屋に飛び込んで来たそうだす。
一体野麦峠ちゅうのは、信州と飛騨との往還になっておりまして、当時は一日に二人や三人の旅人は通《かよ》ったもンだそうだす。で、そういう旅人は登山家とは違うて、別に人夫を連れたり、特別仕立の服を着たりしまへン。さて、晴れた日に野麦峠を通りますと、そこから乗鞍へは五時間ほどで行けます
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