見ると、気の毒な所もあるので、この人は十一二の年まで母親の所に育ち、それから子爵家に這入ったので、傍《はた》からは始終冷い眼で見られているちゅう訳で、グレ出したのも無理はないと思われる所もあります。
そこで子爵家では、和武に飽くまで譲りとうないので、どうぞして訴訟を取下げさそうと思ったが、旨く行きまへん。そこで、和武の行状を洗って、どうせ叩けば埃の出る奴じゃから、何か弱点を握って、とっちめてやろいうので、考えて見れば卑怯な事だすが、自衛上止むを得んちゅうので、和武がずっと関西方面にいたので、砂山さんの所へ、素行調査を頼んで来た訳だす。なるほど之なら費用は何ぼでも出す。何か弱点を探り出せば、一万円の報酬というのは、まア当前《あたりまえ》だす。
私は砂山さんに見込まれたんで、宜《よろ》しおま、と引受けましたが、何でもないと思うたが、之が中々難物だした。というのは、和武は十八の年に子爵家を出て、それから二三年はあちこちと放浪し続けて、めちゃくちゃな生活を送ったらしいが、二十《はたち》頃から急に身持が改って、山登りを始めた。山登りちゅうても、日本アルプスちゅう奴ですな。今こそ日本アルプスちゅうと、女でも子供でも行きますが、その頃は中々どうして、登る人も少く、道が悪いから人夫も仰山連れて行かなならんし、金持の坊ちゃんの道楽みたいなもんだした。道楽ちゅうても、女狂いから見たら、余程上等です。そこで和武も山登りを始めてから、すっかり身が固うなっています。
一体、十八九で狂い出した者は、眼が覚めるちゅうても、中々二十代ではむずかしいもンで、三十四十になって、やっと改まるのがせい/″\だすが、この和武ちゅう人は、たった二三年の狂いで、二十になるともう素行が改まっています。之はどうも珍らしい事で、私の考えでは、事によるとこの人は心《しん》は固いのやろと思います。子爵家を飛び出す為に、態《わざ》と無茶をやったのか、そうでなかったら、子爵家のやり方が悪いので、一時的に自暴《やけ》見たいになったのか、どっちかやろうと思います。
尤も子爵家でもその事は悟ったと見えて、和明ちゅう子供が生れた時に、一ぺん勘当を許して、上京せいというて来ています。その時は和武は二十三か四だしたが、一旦は喜んで上京するちゅう手紙を出して置きながら、とうとう行かなかったちゅう事実があります。之が誠に可笑しいので、後にそうやったのかと思い当ることがあるのだす。
さて、私が調査を依頼された時は、和武は二十八か九やったと思いますが、今いう通り、すっかり固くなっているらしいので、どうも子爵家の注文のように運ばンので、弱りました。けンど、漸《ようや》くのことで、南の新地で時々遊ぶらしい事を嗅ぎ出して、馴染の妓《こ》を尋ね当てゝ、客になってちょい/\呼びました。
和武の馴染の妓ちゅうのは、浜勇《はまゆう》ちゅうてその頃はあまり流行らない顔だしたが、まン丸い愛嬌の滴《したゝ》るような可愛い妓だしてな、まア、役徳ちゅう奴で、中々私等の身分で新地で散財するちゅうような事はでけ[#「でけ」に傍点]る事《こ》っちゃおまへんが、費用はなんぼでも出るので、お大尽さんになって、茶屋遊びだす。けンど、根が私立探偵で、遊びが主でのうて、何か探り出そうちゅうのだすから、素性を悟られへんかと思うて、ヒヤ/\しながら遊んでるので、身にも何にもつかしまへん。一ぺん、本まに仕事を離れて、あんな遊びをして見たいと思うてます。
余談は置きまして、この浜勇ちゅう妓が、又中々口が固い。「あんた、えゝ人があるちゅうやないか」と探りを入れると、「あほらしい。そんなもん、あらへんし」と赤い顔もしまへん。「華族さんのお客さんがあるやろ」と訊くと、「ほら、うちかて芸者だす。適《たま》には華族はんも呼んで呉れはります」ちゅう返事で、一向|埓《らち》が開きまへん。けンど、こゝで根掘り問うたら、けったいな人やと警戒されますから、辛抱せんならん、中々辛い事だす。
それでも暫く通ってますうちに、少しは様子が分って来ました。浜勇はどうも和武を嫌っているらしいのだすな。
「華族はんて、あんなもんだっかいな。いやらしいね」と或時吐き出すようにいいました。だん/\探って見ると、とても執拗《しつこ》いンやそうです。浜勇のいう話によりますと、和武ちゅう人は、口前《くちまえ》が上手で、ケチで下品で、とても華族ちゅう肩書の他には、とンと取柄がないちゅう結果になります。そうすると、改心したちゅうても、やっぱり心《しん》は下卑ていて、私の観測が違ったかいな、そうやったら、何ぞ弱い尻が掴めそうなもンやと、悲観して見たり、喜んだり、ちゅう訳です。
所が、そのうちにふと浜勇の口から、和武が以前北の新地で散々遊んで、そこに深い馴染の妓があって、末は夫婦とまで
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