に係らず、悠《ゆる》りと、然し確実に僕の全身に拡がりつゝあったのだ。そうして、それが一年ほど以前に、俄然爆発したのだった。恐ろしい病気が現われた時に病気が発生したのではなくて、発生そのものは遠い以前にあって、適々《たま/\》何かの誘因で、それが突然現われるものであることは、多くの人の知っていることだが、僕のは全くそれなのだ。而《しか》も、それは恐ろしい業病《ごうびょう》なのだ。
僕の業病が何であるか、又何の為に君にこんな事を書き残そうとしたかを語る以前に、次の印刷物を読んで呉れ給え。之は或る社交倶楽部でなされた趣味講演の速記を印刷したもので、一般に販売されたものではない。僕は全く偶然に一年ほど以前に手に入れたものだが、あゝ、之こそ、僕の疑惑を固く包んだ結核を押し潰《つぶ》して、ドロ/\の血膿《ちうみ》を胸の中に氾濫させたものなのだ。
野村君、必ず順序を狂わせないで、読んで呉れ給え。先ず次の切抜の印刷物を読み、それから第三と番号のうってある僕の遺書の続きを読んで呉れ給え。
[#ここで字下げ終わり]
もし野村が突然この重明の遺書に接したのだったら、彼は恐らく重明がいよ/\発狂したのだと思ったであろう。然し、野村は幸いに父の遺書の方を先に読んでいたので、重明のいう疑惑という言葉に、大体の当りがついていたので、彼(重明)はやはり彼自身の秘密を多少察していたのだな、と今更ながら、彼(重明)の背負されていた重荷について、同情したのだった。
野村は第二と番号をつけた印刷物を取り上げた。
[#ここから2字下げ]
お歴々方の前でお話しするなんて、光栄の至りでございますが、馴れないことで、さっぱり上って終《しま》って、旨《うま》いことお喋りがでけ[#「でけ」に傍点]ない次第で、後でお叱りのないようにお願いいたします。只今御紹介下さいましたように、私は大体大阪のもんで、大阪の警察に永いこと勤めまして、辞《や》めてから、砂山探偵事務所に這入りまして、俗にいう私立探偵ちゅう奴で、名探偵などとは飛んでもない。全く見かけ倒しで、お話するような手柄話などはございまへ[#「へ」に傍点]ん。が、まア、取扱いました事件の中で、鳥渡《ちょっと》風変りな、奇妙な事件が一つありますンで、それを話させて頂きます。
恰度私が砂山さんの所へ這入ったばかりの頃で、今からいうと、二十二三年以前の事でございます。関係者の中で現在生存している方もあるかも知れまへ[#「へ」に傍点]んので、全部仮名にさして頂きますが、三山《みやま》という華族さんの家に起った事件でございまして、闇から闇に葬られましたものの、当時之が発表されていましたら、相馬事件以上に問題になったこっちゃろうと思うとります。
今申す二十二三年以前の秋だした。死んだ砂山さんが私を呼んで、「どうや、之一つやって見んか」ちゅう話です。「どいう事だンね」と訊きますと、「絶対秘密やが、三山子爵家が相続の事で揉めてるのや」ちゅうのです。私は吃驚《びっくり》しました。何しろ三山子爵ちゅうたら、華族仲間でも有名な金持だすからなア。砂山さんは「費用は何ぼでも出すし、成功したら一万円呉れる約束や」ちゅうて、ニヤ/\笑わはるのです。私はこいつア、余程むずかしい事やなと直感しました。
段々話を訊いて見ると、先代の和行ちゅう人が、心臓病でポッコリと亡くなって、後に和秋《かずあき》ちゅう五つになる子供がある。之が当然相続人なんだすが、和行の腹|異《ちが》いの弟に和武ちゅう人があって、この人が訴えを起した。何ちゅうて訴えを起したかちゅうと、和秋は和行の本当の子やない、戸籍では本当の子になっとるが、実は貰子《もらいご》を実子のようにして、戸籍に入れたんや、それにはこれ/\の証拠があるちゅう訳なんだす。名門の事やから、検事局でも絶対秘密にするし、子爵家の方ではちゃんと新聞の方に、手を廻していますから、一行だって出やしまへん。世間では誰も知らんが、子爵家ではどうも弱ったらしい。というのが、貰子というのが本当らしいのだンな。貰子いうても、チャンと血統《ちすじ》を引いているのだすが、華族さんには喧《やかま》しい規則があって、親類でも無闇に養子に貰えん、ちゅうのでまあ実子に仕立てたのだンな。
一つにはこの訴訟を起した和武ちゅうのが、和行のお父さんが芸者かなんかに生ました子で、腹異いの弟になっているが、和行はこの弟が大嫌いで、之に跡が譲りとうない、子供がないと、嫌でもその方に行くちゅうので、そういうからくりをした訳だす。
和行ちゅう人がこの腹変りの弟を嫌うたのも訳のあることで、和武ちゅう人はでけ[#「でけ」に傍点]損いで、十八の年にはもう酒を呑み、女を拵えて、子爵家を出奔したちゅう、今の言葉でいうと、どえらい不良少年だす。尤も、だん/\探って
前へ
次へ
全23ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
甲賀 三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング