[#「そのこと」に傍点]とはならないのである。又一方、大衆としては、詩といふ型がハツキリしてゐない限り、詩に詩以外の物をも要求してかゝる場合があるのだし、無理からぬことでもある。
 詩といふものが、恰度帽子と云へば中折も鳥打もあるのに、帽子と聞くが早いか「ああいふもの」とハツキリ分るやうに分らない限り、詩は世間に喜ばれるも、喜ばれないも不振も隆盛もないものである。扨私は、明治以来詩人がゐなかつたといふのでは断じてない。まだ詩といふものが、大衆の通念の中に位置する程にはなつてゐないと云ふのである。大衆の通念の中に位置しない限り、算出される詩の非凡と平凡とを問はず、詩の用途といふものはなく、あるとすれば何か他の物の代用としての用途をしかしてゐないと云へるのである。
 事実、詩といへば「ああいふもの」と、一般的にハツキリと位置するものとなつたとしたら、楽しむ方でも作る方でも、事情は一変するのであるが、これは容易に首肯されさうでゐて、却々了得され難いことだと思はれる。
 序で乍ら、詩程ではない迄も、小説だとて、まだ一般的にハツキリと位置してはゐない。寧ろ通俗小説の方が、その点では小説(つまり純
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