正の遺産だけで間に合はす傾向があるに反して、何しろその見本は身辺に乏しかつた明治の詩人は本場のを勉強し活気を持つてゐたと考へられる。
 で、まづ我々詩人が、詩の生存態をハツキリと掴むことが問題であると思ふ。それにはその本場の作品を、読むことよりほかには手がないと思はれる。「人間修業」だの、「自然に親しむ」なぞといふことが云はれるが、それはもとより大切乍ら、それと詩とは只関係が密接なだけで、先づ何よりも先人の作品は読まれなければならぬ。それを学ばないに拘らず、思念だけでは足りない、何かしら芸術は道具を要するものであるから[#「道具を要するものであるから」に傍点]、作品が読まれなければならぬ。
 茲で一寸話は変るが、由来西洋の詩は鈍感なものであるといふやうな通念がある。勿論それは余りお菓子の欲しくない人が駄菓子の方が寧ろ美味い、といふ時のやうなふうにして発生した通念と見えるが、それにしても、一応の由来はあると思へるので、一寸その事に就いて云つてみれば、
 西洋人の方が、我々よりも尠くも形の上では楽天的である、従つて即興的であるよりも構成を怡しむ習性を一層持つてゐる。つまりより一層造型的だと云へるであらう。だから東洋のものに対する時よりも、もつとずつとゆつたりとした気構へが要すると思はれる。況や、風俗は異つてゐるに於てをや。
 猶、俳句のやうに微妙なものはないと云はれるが、私自身も随分さう思ふが、だから西洋の詩は微妙でないかといふにさうではない。――因みに、各民族の古い時代には、俳句の如く短詩形があり、それがまた非常に微妙なものであつたといふことを、俳句がそれに相当するといふのではないまでも、一応想起されたいのである。例へば印度古詩。又、旧約聖書の「詩篇」に於いて、「ヤーエ」と呼ぶ時に、ヤーエといふ一単語の音色が既に今では感じ切れない程の微妙な意味をも有してゐたであらうことなぞ、一応想起されたいのである。
 話は元に戻る。よく読まねばならぬ。思念を現はしてゐるその様子を会得しなければならない。さもない限り、思念の深い人にはなるとも、詩人とはならない。此の事は、まだ詩といふ型がハツキリしてゐると云へない現状に於いて、十分に注意される必要がある。つまり、絵といふからには絵具や画布、大工といふには槌や鉋、まづその道具[#「その道具」に傍点]ですることが面白いのでない限りそのこと
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