[#「現代」は底本にはなし]画家の相当の作品は一号一〇円から五〇円の間を低迷しているように私には思える。

 さて、現代画家でもっとも高く、もっとも多くの自作をもっとも手広く売り拡めんがためには、金持ちの応接間はことごとく上がり込むだけの勇気と、手打ちうどんの如き太き神経を必要とするだろう。自分で絵を作り価格を考え、外交員ともなり、自個の芸術的存在を明らかにし、その作品のよろしきものだという証拠の製造もやるといえば、まったく精力と健康も必要だろう。それで本当にいい作品が出来れば幸いだが、天は二物を与えずともいわれている。
 それらの健康と太き神経なく、金持ちの応接室と聞いただけでも便通を催すという潔癖なる神様で、パトロンも金もなかったら、この現代ではいかに善き作品を作っても、作れば作るほど、食物が得られない。さてパトロンなるものも左様に多く転がって存在するわけでもなく、万一あったとしても、それはかの愛妾達がする体験を画家もやってみねばならないことであり、神経が尖っていれば辛抱は出来ないだろう。

 近頃、研究所へ通う多くの画学生達や展覧会への相当の出品者達で本当に何もかもを打ち捨て、絵に噛りついているという人達の存在がいよいよこの世では許されなくなって来たものであるか、必ず何か他に余業を持っている人達が多くなって来つつある如く思える。新進作家にして同時に小学校の訓導であり、百貨店の宣伝部員であったり、図案家であったり、会社員であったり、ヱレヴェーターボーイであったりする。今にバスガールや女給で相当の出品者を発見することになればそれも面白いと思う。
 日曜画家という名が現れている。すなわち日曜だけ画家となり得る生活を持つところの半分の神様すなわち半神半人の一群である。これらはまったく芸術とは関係なき仕事においてわが臓腑と、妻子を養いつつ日曜は神様になろうとする近代の傾向である。近頃、非常に多い画人の中にはこの種の日曜画家は案外多いものだろうと私は思う。
 悲しいことには絵画の様式は複雑であり、たった一日で完成すべき性質を欠いているがためにここに、絵画の本質と日曜との間に悲劇が起こってくる。
 油絵という芸術が現代生活上の必要からおいおいと日曜のみの仕事になっていったら、会社員の俳句ともなり、娘さんの茶道、生花、長唄のおけいこともなり、普及はするが淋しい結果になりはしないかと思う。
 その代り相当の優秀な作家が、絵によって世の役に立つところの仕事、世の中に絵の描けない人達のためにつくすべき仕事に向かって流れて行くことは私は悪くないと思う。美しく近代的なショーウィンドを構成し、ペンキ看板はよりよくなり、女の衣服は新鮮であり新聞紙や雑誌は飾られ、※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵は工夫され、ポスターと新薬は面目を改めていくだろう。都会は美しさを増す。
 しかながら一軒のかしわ屋の看板を描くために五〇人の画家が押し寄せたとしたらどうだ。どうしていいかにも私も見当がつかない。
 だが、やきもきと何かと戦っているところの若いものはまだいいとして、本当に芸術に噛りつきながらもつぶしの利かない、しかも世の中の焦点から消えて行く日本の老大家達の末もあまり明るいものではない、かと思われる。
[#地から1字上げ](「セレクト」昭和五年三月〜四月)

   現代美人風景

 現代の婦人と申しましても、それは大変沢山の異なった種類の婦人を含んでいます。まず昨夜生まれた女の子供はまだ婦人とも申されませんが、やや長じて一かどの体面を備えかかるところの女学生時代にあるものおよび結婚前の婦人、この中にこそこの現代美人風景の焦点をなすところの、美人をもっとも多く含有するところの、いとも華やかな時代、それから細君、婦人、女房として完全な時代にあるもの、あるいはお寺へ毎日出勤したり、お大師めぐりの列に連なる老婆の群等あらゆる種類の婦人達がこの現代に充満して共存している次第であります。
 またそれらの婦人の生まれた年月を考えてみましても、明治以前から一九三〇年にいたるまでの各年代を取り揃えてあります。だから一概に現代の婦人といってもかなりその全体の婦人がことごとく一致して同じ傾向のことを好み、皆が東を向き、皆が揃って西を向くということは出来ません、ことに現代は千差万別の気の合わないものの集合だといってよいと思います。もちろんこのことは婦人に限ったことでなく、男女共通あるいは男の方がもっと時代の主役を勤めていますからもっとはなはだしいのであります。
 ことに明治から今日にいたる時代の動き方と変化の急速なことは、まったく昔の二世紀や四世紀位の仕事を十年位でやってのけた位の以前の変化を致しましたから、まったくこれ程急激に根本的な変化を経験した国は世界の中でも珍しいでしょう。
 その急激に変化した時代がその道中で生みつけて行った人間の大部分がこの現代に、まだ生存しています。
 時代による人間の心の変化というものは、まったく不思議なものだと私は思っています。教育や訓戒位のものではどうにもならない力をもって変化するものがあることを感じます。例えば私の親父の心では理解出来ない不思議な差を、私は持って生まれて来たと思います。それは私が小学校で吹き込まれた教育のおかげでも何でもない、私がこの世の空気を初めて吸った時、その空気とともに私の体内へもぐり込んだところのものだと思います。
 それと同じく私と私の子供の心との間にもわけのわからない差があり、私よりも一時代若き人達のあるいは若き画家の心にも理解出来ない新しい心を私は感じます。
 したがってもっとも理解出来やすい心は何といっても同時代、同じ年代生まれのお互い同士の間だけであろうと思います。
 婆さんは婆さん同士、老人は老人同士、娘は娘同士、子供は子供づれ、牛は牛づれと昔からも申します。そして牛は馬のことが理解出来ないが故に尊敬するということは少なく、大概の場合悪く思いがちであります。そして牛は牛の世界が一番よいと思い世の中はことごとく牛らしくせよと申します。馬は馬らしくせよと申します。結局馬にもならず牛ばかりにもならず次へ時代は遷って行きます。
 人間は年を経て次の時代のものに亡ぼされることの嫌さから相当の老年になり、役に立たなくなってしまってからも、なおしつこく子孫へ無理やりに自分の華やかなりし頃の心をたたき込もうとしがちです。しかしながらいかに老人が強いてみましても次に生まれる赤ん坊は、今日も明日も明後日もそれこそ、引切りなしに恐ろしく理解出来ない考えを抱いて押よせてくるのです。この次の時代を極端に怖れるというならば、生まれてくる赤ん坊をことごとく抹殺するよりほか致し方ないでしょう。

 ところでこの日本の現代は左様に異なった種類の人間を含んでいると同時に急激なテンポをもって変化した色々の古道具類を幾重にも混沌と積み重ねております。
 西南戦争の心と日清戦争の心と日露戦争の心と、徳川時代の心と、大正、昭和の心もともに、重なり合い茶室と洋館とお寺とビルディングと高下駄と、お茶屋とカフェーと吉原とダンスホールと、色紙短冊と油絵と、四條派とシュールレアリズムといった具合に変なものが重なり合っていて、それがまたお互いに相当の繁盛もしているというのは、まったく現代には前申した如き、あらゆる御世の心が積み重なり合ってまだ生きているからでもありましょう。私の心の中を覗いただけでもどれだけ不似合のものが合同して、住んでいることでしょう。その代りその不似合のものを私などはやけ糞でことごとくを味わっていますがなかなか多忙であり、同時にまた私はどこの国民だかわからない位の存在の如き有様を自分で感じます。
 例えばカツレツで晩めしをたべ、あとはお茶漬けを致しましてラジオを聞きます。新内は明烏です。すぐそのあとで蓄音機です。来た来たショウボートの唄が響き渡ります。今の今、女郎は旧日本の末期的な涙を絞っていまして、私もやるせない心に迷っていましたのに、次の瞬間にはパフパフパフ、シャフシャフシャフといって踊らねばならないのです。多忙なことではありませんか。
 これらをせめて多少とも整理して、何とか一筋のまとまった単位を定め掃除し、整理するのは次に生まれてくるところの心から新鮮な赤ん坊達の力に待たなければいけないかと存じます。
 そして老いたるものは何か気のすむだけの遺言をのこしてこの世を去って行くことであります。

 まず現代は変化の新戦場、火事場、地震の跡であります。由来左様なところに落着きというべき[#「べき」は底本にはなし]ものはありません。優美なる火事場。落着きある地震。沈着なるあわて者というものは珍しい。
 過去の諸々の道具類が道端に散乱した。それとともに古い人間も傷ついてころがっています。
 その中を日本人は、ことに現代の美人は、勇敢にもまだ下駄を足に引きずりながらむりやりに次の時代に向かって素晴らしい勢いで行進をしている有様であります。
 この戦場や工事場、火事場には優美にして柳腰の美人がいたらそれははなはだ似合わないことで、まごまごしていると危険であります。時代の継ぎ目の工事場の美人は、顔の造作さえも気にしてはいられません。
 まず第一に元気で強く、健康で軽装であらねばなりません。
 しかも目まぐるしい都会の速度と人情の中を泳ぐにはよほど鋭い眼を持ち、同時に敏捷な神経を持つ必要があります。必要に応じて人間の諸道具は、それに適当するように進歩してくるものだと私は聞かされていますし、またその要求通りその反応は現れ、最近に生まれて来る者どもの眼が鋭くなって来ました。もうどんよりとした節穴かガラス玉の如きものは少なくなってまいりました。
 先日もある浮世絵の書物で美人の標本として二、三の婦人裸像が描かれてあるのを見ました。そしてそれには、相当丁寧に人体各部の説明が施されてありました。さてその足を見ますと、その長さは胴体の長さよりもよほど短く描かれ、足の関節のところで曲がってくの字を横に二つ並べてありました。さてこの足に衣服を着せますと、いわゆる風流柳腰の姿態というものになります。昔の男達はこの腰に迷ったものでありました。私も新内や浄瑠璃時代に片足をふみ込んで生まれたがためにこの腰つきの妙所を少しく理解致します。
 しかしながらこの足は厚い裾に包んであり、常に裾の厚さとともに観賞すべきものでありました。その裾から少量の素足を見せるところに悩ましき美は存在したのでしたが、もう火事と地震の現代女性は尻をからげて走り出しました。
 急激に走り出さねばならぬ時代となったから裾の中に、ぬくぬくと収まっていた短い足が急に長く一直線に伸び上がるというに左様に都合よくはまいりません。まずこれだけは暫時、ぽつぽつと進化せねばなりません。といって自分の足が伸びるまで、火事と地震の中でじっと待っていることは出来ません。ここに近代日本の美人は悲劇を持たねばなりません。
 短いくの字の足を、捨鉢となって勇敢に露出することに決心した彼女達は勇ましく、レヴューのために足を並べました。私は心斎橋を散歩しながら、あるいは銀座の歩道で、あるいは電車やバスの中で洋装におけるそれらの足に敬意を払います。
 時代の混雑せる風景はいかにも嫌だという人達は、この現世の有様を厭うて心を徳川時代におき据え、今なお世の片隅に残っている古物をあさり、古物の女を眺め、その古物の中に自分の心を求めて住むことを楽しんでいます。まったくそれらはすでに出来上がった芸術であり女でありますから、何かと心を乱す雑音がありません。眺めやすく住み心地もよろしいわけであります。私も芸妓、歌舞伎、落語、三味線、柳腰、の世界へ閉じ籠っていたいと思いますが、それでは何か、も一つ、私の心に大きな風穴が開いてしまって、その穴から何ともいい知れないところの幽霊の浜風が吹き込んでまいります。そこで私は我慢してあの短いくの字の足が伸び上がるのを楽しんで待っているのであります。
 しかしなが
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