めでたき風景
小出楢重
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)亭《ちん》が
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)十|間《けん》ばかり
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]
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めでたき風景
奈良公園の一軒家で私が自炊生活していた時、初春の梅が咲くころなどは、静かな公園を新婚の夫婦が、しばしば散歩しているのを私の窓から十分眺めることが出来た。彼ら男女は、私の一軒家の近くまで来ると必ず立ちどまる。そこには小さな池があり、杉があり、梅があり、亭《ちん》があるので甚《はなは》だ構図がよろしいためだろう。
そして誰も見ていないと思って彼ら二人は安心して仲がいいのだ。即ち細君を池の側へ立たせて、も少し右向いて、そうそう少し笑って見い、そやそや、といって亭主はピントを合せるのだが、私はそれらの光景をあまり度々《たびたび》見せられたためか、どうもそれ以来、写真機をぶら下げた紳士を見ると少し不愉快を覚えるのである。どうも写真機というものは実は私も持っているが、一種のなまぬるさを持っていていけない。
しかし、そのなまぬるさを嫌っては、どうも近代の女たちからの評判はよろしくないようだと思う。我々は古い男たちよと呼ばれざるを得ないであろう。
そのなまぬるさを平気でやるだけの新鮮なる修業は、我々明治年間に生年月日を持つ男たちにとっては、かなりの悩みである。
私は巴里《パリ》で、誰れかのアミーと共に自動車に乗る時、うっかりとお先きへ失敬して、アミーたちにその無礼を叱《しか》られがちだった。
いつのことだったか、雨が降りそうな日に、私と私の細君とが公設市場の近くまで来た時、理髪屋の前で細君が転《ころ》んだ、高い歯の下駄《げた》を履《は》いていたのだ。私はその瞬間に大勢の人と散髪屋が笑っているのを見たので、私はさっさと歩いてしまったものだ。起き上って私に追いついた細君は、もうその薄情さには呆《あき》れたといってぶうぶういった。といっておお可哀そうに、などいって抱き上げることは、私の潜在せる大和魂《やまとだましい》という奴がどうしても承知してくれないのだ。
その大和魂の存在がよほど口惜しかったと見えて、東京のNさん夫婦がその後遊びに来た時、細君同士は男子の薄情について語り合った末、その一例として妻は公設市場で転んだ件を話して同情を求めたところ、N夫人は、私の方はもっとひどいのよといった。それは過日市電のすぐ前で雨の日に転んだというのだ。電車は急停車したが、それを見た亭主は、十|間《けん》ばかり向うへ逃げ出したそうだ。命に関する出来事であるにかかわらず逃げるとは如何《いかが》なもので御座いましょうといった。御亭主は、それはあなたと、もじもじしているので私はそれがその、我々の大和魂の現れで、かの弁慶でさえも、この点では上使の段で、鳴く蝉《せみ》よりも何んとかいって悩んでいる訳なんだからといって、すでに錆《さび》かかっている大和魂へ我々亭主はしきりに光沢布巾《つやぶきん》をかけるのであった。
白光と毒素
女給はクリーム入れましょうかとたずねる。どろどろの珈琲が飲みたい日は入れてくれというし、甘ったるいすべてが厭な日はいらないといって断る。考えてみるにどろどろしたクリームを要求する日は元気で心も善良で、どうかすると少しおめでたいけれども、砂糖もなきにがい珈琲を好く日はどうも少し心がひん曲っていることが多いようである。
人間もだんだんどろどろしたものが厭になり、何事もケチがつけてみたくなり、何事にも賛成できなくなり、飛びつく食欲を覚えず、女人の顔を真正面から厚かましく眺めるような年配となってくることは淋しいことだ。
やはり人間はカツレツと甘い珈琲が好きで、なかば霞んでいる方がかわい気はある。あまりに冴えた女性はどうも男達からの評判はよろしくないことが多い。
私自身も近ごろだんだん霞の煙幕の向こう側が意地悪く見えすいて来たりして、なるほどこれかと思い当たるようになって来たことは気の毒だ。でも老人がいつまでも甘ったるくても迷惑なことである。私などは近頃、ついうっかりと美人の鼻の穴の黒き汚れや皺の数とその方向に見惚れたり、その皺によって運勢までも観破しかねまじき眼光の輝きをわれながら感じて来た。
でも、この地球の上はありがたいことにも年に一回は必ずこれは女給ではなく、かの木花開耶姫が一匙のクリームを天上からそそぎかけると、たちまちにして地上の空気はどろどろとなり、甘ったるく、なまぬるく、都会の夕暮をつつみ、あるいは六甲の連山をかすめる。このクリームの毒素は私にも影響する。何かこうじっとしていては罰が当たりそうで、といって一体何をどうすればよいか見当がつかない、といった心もちだ。春過ぎた奴でさえこれだ。今春の最中にいて、この乳色のどろどろの珈琲を飲み込んでは、まったく若き男女は一体どうするのか、私もまた同情に堪えない。
四季を通じて女性はこの世に存在するが、春はまったくこの毒素にあたったものが毒にあたったものを眺めるのだから、気狂いが気狂いを見るのと同じく、まったく女の優劣も美麗も判然と区別する能力を失い勝ちだ。ただ春のそして若き女性からは燦爛たる白光が立ち上り、ただわれわれの眼はぐらぐらとくらむだけである。まったく男達が春における女性を見ると眼はただ二個の無力なレンズであるに過ぎない。
だからわれわれの若き時代の恋愛の手紙の一節を思い出してみるがいい。おお紅薔薇の君よ、谷間の白百合よ、私の女神よ救って下さいと嘆願したりしている。ちっともそれが百合らしくも薔薇でもないのに。
だが、そう見えるところにこの[#「この」は底本にはなし]春の毒素の面白さがあるのだ。まったくもって、恥しいことを春には口走るが、それは幸福なたわごととしてお互いに見ぬふりの致し合いをするところに、また春のめでたさもあるようである。
ある写生地の山桜の下で一人の女流画家が、春だわ、春だわ、青春だわ、と叫んで乳色の毒にあたってふらふらしていたのを見たことがあった。今でも春になるとその叫び声とその時の悪寒を思い出す。
とにかく山、河、草木、池、都会、ごみ溜、ビルディングの窓という窓をことごとくこのクリームが包んでしまうと、男の眼はガラスと変じ、若き女性からは悩ましき白光が立ち上る。
舞台では春の踊りやレヴューの足の観兵式である。白光と毒素は充満する。霞を失いつつあるわれわれも、年に一度は開耶姫の珈琲を遠慮なく飲んでおきましょう。
大阪弁雑談
京阪《けいはん》地方位い特殊な言葉を使っている部分も珍らしいと思う。それも文明の中心地帯でありながら、日本の国語とは全く違った話を日常続けているのである。私はいつか、西洋人に対してさえ恥かしい思《おもい》をした事があった。その西洋人は日本の国語と、そのアクセントを丁寧に習得した人であったから、美しい東京弁なのである。そして私の言葉は少し困った大阪弁なのであった。
大阪地方は言葉そのものも随分違ってはいるが、一番違っているのは言葉の抑揚である。それは東京弁の全く正反対のアクセントを持つ事が多い。上るべき処が下り、下るべき処が上っている。
たとえば「何が」という「な」は東京では上るが大阪は上らない。「くも」のくの音を上げると東京では蜘蛛《くも》となり、大阪では「雲」となる。
大阪の蜘蛛は「く」の字が低く「も」が高く発音されるのである。これは一例に過ぎないがその他無数に反対である。
それで大阪で発祥した処の浄るりを東京人が語ると、本当の浄るりとは聞えない。さわりの部分はまだいいとして言葉に至っては全く変なものに化けている事が多い。浄るりの標準語は何といっても大阪弁である。
従って、大阪人は浄るりさえ語らしておけば一番立派な人に見える。
よほど以前、私は道頓堀《どうとんぼり》で大阪の若い役者によって演じられた三人吉三《さんにんきちざ》を見た事があった。その芸は熱心だったが、せりふの嫌《いや》らしさが今に忘れ得ない。大阪ぼんちが泥棒ごっこをして遊んでいるようだった。見ている間は寒気《さむけ》を感じつづけた。
東京で私は忠臣蔵の茶屋場を見た。役者は全部東京弁で演じていた。従ってその一力《いちりき》楼は、京都でなく両国の川べりであるらしい気がした。しかしそんな事が芝居としては問題にもならず、何かさらさらとして意気な忠臣蔵だと思えただけであった。一力楼は本籍を東京へ移してしまった訳である。
大阪役者が三人吉三をやる時にも、一層の事、本籍を大阪へ移してからやればいいと思う。
もしも、大阪弁を使う弁天小僧や直侍《なおざむらい》が現れたら、随分面白い事だろうと思う。その極《きわ》めて歯切れの悪い、深刻でネチネチとした、粘着力のある気前《きま》えのよくない、慾張りで、しみたれた泥棒が三人生れたりするかも知れない。それならまたそれで一つの存在として見ていられるかと思う。
先ず芝居や歌とかいうものは、言葉の違いからかえって地方色が出て、甚だ面白いというものであるが、日本の現代に生れたわれわれが、日常に使う言葉はあまり地方色の濃厚な事は昔と違って不便であり、あまり喜ばれないのである。
標準語が定められ、読本《とくほん》があり、作文がある今日、相当教養あるものが、何かのあいさつや講演をするのに持って生れた大阪弁をそのまま出しては、立派な説も笑いの種となる事が多い。品格も何もかもを台なしにする事がある。
そこで、今の新らしい大阪人は、全くうっかりとものがいえない時代となっている。だからなるべく若い大阪人は大阪弁を隠そうと努めているようである。ある者は読本の如く、女学生は小説の如くしゃべろうとしている傾向もあるようだ。
ところで標準語も、読本の如く文章で書く事は、先ず記憶さえあれば誰れにも一通りは書けるし、喋《しゃべ》る事も出来るが、一番むずかしいのはその発音、抑揚、節《ふし》といったものである。
君が代が安来節《やすぎぶし》に聞えても困るし、歯切れの悪い弁天小僧も嫌である。
大阪人は大阪弁を、東京人は東京弁を持って生れる。持って生れた言葉が偶然にもその国の標準語であったという事は、何んといっても仕合せな事である。
私の如く大阪弁を発するものが、何かの場合に正しくものをいおうとすると、それは芝居を演じている心持ちが離れない。それもすこぶる拙《まず》いせりふ[#「せりふ」に傍点]である。
自分でせりふの拙さを意識するものだから、ついいうべき事が気遅れして、充分に心が尽せないので腹が立つ。地震で逃げる時、ワルツを考え出している位の、ちぐはぐな心である。
自分の心と、言葉と、その表情である処の抑揚とがお互に無関係である事を感じた時の嫌さというものは、全く苦々《にがにが》しい気のするものである。
時にはそんな事から、西を東だといってしまう位の間違いさえ感じる事がある。全く声色《こわいろ》の生活はやり切れない。
大阪の紳士が電車の中などで、時に喧嘩《けんか》をしているのを見る事があるが、それは真《まこ》とに悲劇である。大勢の見物人の前だから、初めは標準語でやっているが、忽《たちま》ち心乱れてくると「何んやもう一ぺんいうて見い、あほめ、糞《くそ》たれめ、何|吐《ぬか》してけつかる」といった調子に落ちて行く。喧嘩は殊《こと》に他人の声色ではやれるものではない。
私は時々、ラジオの趣味講座を聴《き》く事がある、その講演者が純粋の東京人である時は、その話の内容は別として、ともかく、その音律だけは心地よく聴く事が出来るが大阪人の演ずるお話は、大概の場合、その言葉に相当した美しい抑揚が欠乏しているので、話が無表情であり、従って退屈を感じる。少し我慢して聴いていると不愉快を覚える。
だ
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