かなり多いようである。
洋装も本心から嫌だというなら判っているが、口さきでは、ようあんな不細工な恰好して歩きはりまっせなと非難しながら、心では切に自分もやってみたいのだが、何しろ洋服の勝手がよく飲み込めない上に、とても恥しいので、なかなか手が出せないというものが多い。そこでちょっとひそかに、三越の仕入れを買ってみて、夏は帯が苦しいということをまず宣伝しておいて、次にこっそりと家の中だけで着用してみるのである。もちろん家の中で着るのだから靴の必要がない。それが、少し慣れて来ると、ちょっと八百屋位までそのままの姿で用足しに出る位に進歩する。その場合は、有合せの下駄をつっかけて走るのだ。近頃の都市風景の点景としてもっとも多く目につくところの夏のコスチュームである。ことに下町方面にはその洋装の裾から多少の腰巻の先端を現し、もちろん靴下を用いないから浮世絵時代の足が二本、裸のままで出ている。私にはあるエロチックな錦絵さえも想像させてくれるのである。
下町へ行くと、今もなお女髪結いの上っ張りの如く、西洋のねまきの如き、あんまの療治服の如き俗にこれをアッパッパと称されているところの簡易服を着ているものを認めることが出来る。東京では何と呼ばれているか知らないが大阪では右の称がある。芸妓が自宅にある時、真夏の昼これを愛用する。
アッパッパは現代モダン生活の第一線に対するそのもっとも殿り[#「殿り」は底本では「煽り」]を承っているところの女軍であるといっていいかも知れない。とにかく何か時代の雰囲気と影響を感じてはいるのだが、そしてそれを受けたいのだが何が何やらさっぱりよく判らず、その上家屋の構造や家族の手前、生活の様式や経済上の関係や何やかやの関係から、なるようにしかならぬ、という諦めによって成立せるところの[#「ところの」は底本では「ところ、」]先ず日本としてはもっとも合理的にして大衆的であり、安易にして新味あるところの服装であるかも知れない。
アッパッパといえばもうそれは七、八年も以前、その流行の初期において画友鍋井君がこれを女のものとは知らずに着用して、虎の門女学校を写生するため毎日電車で通うたということである。何しろ涼しくて便利やさかい、何も知らずに着ていたといっている。しかし、何だか人がじろじろと眺めてうるさかったそうだ。なるほど、それは私もちょっと眺めておいたらよかったと思う。しかしその便利なものは直ちに用いるところの勇気は称揚すべきである。
ともかくも私はいつも新時代のいの一番を試み相勤める人達の勇気に対してかなりの尊敬を払っている。どうせ最初は不馴れと勝手のわからぬおかしみとがあり、笑われるにきまっている。にもかかわらず時代の雰囲気へ真先に進みたいという愛すべき勇気を私は称揚して差し支えなかろうと思う。まったく新しき趣味、新しき雰囲気、新しい色彩、新しい考えは流感における空気伝染の如くいつの間にか隅々まで拡がっている。
アッパッパから足を出している少女が大阪だけかと思うと、神戸にも京都にも東京にもある。おそらく仙台にも福岡にもあることだろう。誰が命令したというわけでもない。ただ流感の如く拡がってしまうのである。そして世界は何かしら動いて行くところが面白いといえば[#「いえば」は底本にはなし]いえる。
私はとにかく新時代の後からおそるおそるぞろぞろと追従して行くアッパッパ連と急先陣を承るところのモダンガールにすこぶる興味を持つ。
[#地から1字上げ](「みづゑ」昭和三年十月)
瀧
あまり熱を発散しない火や光、あるいは透明体を眺めることはすこぶる、いい[#「いい」は底本にはなし]避暑となるものである。私は青いガラス玉を透して電燈の光を覗くのが好きだ。
とても美しく涼しそうな極楽世界を眺めることが出来る。蛍や人魂が夏に飛んでくるのも、西瓜やトコロ天が店さきに並ぶのもみな、半透明の誘惑であり結構な避暑のモティフである。瀧は水であってなおかつ光を兼ねている。瀧を遠望すると活動の映写口から出る白光の感じがする。そしてガラス玉であって水晶でもある。涼しいわけだと私はおもう。
池
私はあの東京の大地震の時、幸いにも恵まれた二個のドーナッツ[#「ドーナッツ」は底本では「ドーナツ」]を大切に抱いて、やっと一夜をすごしたことがあった。しかしその時、人間の世界には水分が一滴もなくなっていた。それで折角のうれしいドーナッツ[#「ドーナッツ」は底本では「ドーナツ」]も、乾いた海綿の如く口中に充満して私は悲しかった。以来私は一杯の水、一滴の雨水を結構と思うようになった。
昔から山水というよい言葉がある。山だけの風景は震災のドーナッツ[#「ドーナッツ」は底本では「ドーナツ」]である。私は昔から、奈良の風景を愛する。ただ惜しいことには水の不足を感じる。荒池、鷺池、猿沢池はコップにおける大切な一杯の水であると思う。
花火
人は妖気を得て涼を感じるものである。池の上や軒端を飛ぶ蛍、あるいは夏の夜の黒い空からだらりと下がって消えて行く花火に私は妙な妖気を感じる。蛍、人魂、花火はともにトロトロと流れて明滅する。彼らを私は妖怪の一族と見なしていいと思う。その他妖気を含むものは多い。例えば西瓜の看板をじっと眺めていると、何ものかの舌とも見えてくることがしばしばある。お岩や牡丹燈籠が舞台へ現れるのも夏である。夏は妖怪の世界である。
盛夏雑筆
素人が一番楽しんで絵を描くようである。訪問の新聞記者に対して実業家の夫人達は、ほんとうに私は絵筆を持っている時こそ幸福でありますという。私も中学時代の親の目の盗み描きが一番幸福で御座いましたといっていいと思う。
先夜、松林の暗闇で子供がキャラメルをばらまいてしまった。拾ってくれといったが石ころばかり手に触れて皆目拾えなかった。ちょうど近くを時々郊外電車が走るのでそのヘッドライトが照す瞬間において二、三個ずつ拾い集めた。
私は芝居のだんまりや殺しの場は闇でもよく見えるから便利だと考えて羨ましかった。
時間を打合わせ[#「打合わせ」は底本では「合わせ」]ておくと不意の来客に妨げられるし、幾時の汽車に乗ろうと思って急ぐと急に便意を催す。今度の日曜こそと思うと雨が降るし、傑作を作りましょうと思うと駄作が生まれる。私の如き不精者がたまたま散髪屋へ行くと本日定休日という札が掛けてある。
近頃のリンコルン[#「リンコルン」は底本では「リンカーン」]というのはあの偉人のことではなく、自動車の名称となっている。
私は先頃この高級車に乗せてもらって六〇哩の速度を味わってみたがかなり爽快であるべき筈のところ、私には実は少々風が寒かった。沿道の風景が重なり合って急速度で飛んで来るので、私はその風景を全部そのまま食べているような気がした。私は阪神国道と宝塚と六甲山と有馬と神戸と明石を、ことごとく飲み込んでしまったので胃袋は不消化な風景で一杯満たされてしまった。それが幾日経っても消化しないで胸にもたれていた。ところが最近またリンコルン[#「リンコルン」は底本では「リンカーン」]が私を訪ねてくれた。私は再び高速度で先日と同じ道筋を逆に運搬された。それはちょうど実写もののフィルムを逆に回転したのである。
そこで先日飲み込んでおいた風景を尻から悉く吐き出してしまったことになって私は初めて爽快を感じた。
絵を描くことに油が乗っている時には妙に文章が書けなくなる。文章に興味を感じる時絵を描く神経は鈍る。病院にも内科外科婦人科の別ある如く、その係りがちがっているのだと思われる。
絵の仕事で夢中になっている時には人との約束や義理人情を多少踏み潰してもかなり平気でいられる。また他人も了解してうるさい用件を持ち込まない傾向もある。あんな男に頼んでも駄目だと見当をつけるのだろう。
絵を描く方の神経が鈍っている時に限って手紙が書けたり他人のことが気にかかったりする。いらない返事まで出してみたりしてみそをつけたり、いらない世話をさされたりする。よその人情が気にかかって捨てては[#「捨てては」は底本では「捨てて」]おけなくなるのだ。他人もついそれにつけ込んで来る。やはり絵描きは多少不人情に見えてもいいから、少しの隙も見せない方がいいと思う。
世話といえば他人の絵を批評したり、見てやったり、見せられたり、することは危険な仕事である。いいものは日に何十枚観賞しても結構だが、自分の力以下の絵を日に一枚ずつ見てさえも地獄へ陥ちて行く気がして堪らない、すでに私は地獄行きの切符を買って帽子のリボンへはさんでいるようだ。[#底本には、続く改行と1行空きはなし]
思う仕事が思うように行かない時など酒を飲むとか、やけ糞に煙草を一箱のみつくすとか出来る人は幸福だ。酒も煙草ものめない私は時に重たい椅子を床へ投げつけてみることがある。思ったより力があるんだなと友人はそれを聞いて感心した。
煙草はまったくいいものだ、ちょっと一服することによって世界がはなはだ新鮮になる。他人と話をしている時煙草は両人の顔と顔との[#「顔との」は底本では「顔の」]間へよろしき煙幕を張る、それを通して相手の顔を眺めていることは、大変のびやかで話もらくに出来るようだ。私が医者から無理にやめさされた時、一番辛かったことは、話相手の顔があまりはっきりと真正面に見えることだった。それから町を歩くと煙草屋が多過ぎることであった。一町内に必ず一つ位はあの赤い小判形の中のたばこという黒い字が目につくのであった。完全に煙草を忘れるのに一年位はかかった。煙草を忘れてしまうと同時に町からは煙草屋が全部影を消してしまった。看板も目につかなくなった。
煙草をやめてから五、六年になる近頃、妙にまた煙草屋が目につき出し、絵で疲れた時、煙草のことを考え、客に対してちょっと一本下さいと無心をいってみたりすることがある。これはいけないと自らを戒めているが、心の底のむすび目が多少ゆるんでいるような気がするのである。
[#地から1字上げ](「みづゑ」昭和二年八月)
秋の顔
秋になって、私は人間の顔が紅葉したのを見たことはない。しかし木の葉が凋落する如くわれわれの毛髪は多少脱落はするようである。ことに貧弱ながらも生きている私などは夏から秋へのつぎ目の季節を嫌に思う。折角大切にしていた皮膚の脂気と、貧しくもめぐっていた私の血液が、腹の奥底へどんどんと逃げ去って行く心地がする。何か冷気を含む秋の風は下腹をしくしくと悩ます。ことに時雨と木枯しは情ない。
しかしながら、健康で大丈夫な他人は秋風によって食慾を増し、馬も、人も、女も、肥太るという話である。羨むべきことである。
最近十日あまり私は上京していて、帰ってみて驚いたことには、私の大切にしていた銀が(銀は真白な猫である)今までは夏痩して細長くて、猫として禁物の瓜実顔であったものが、たった十日あまりの不在の間にその重さを著しく加え、顔はまるまるとした丸ぼちゃ型に変化してしまっていたことであった。
してみると、秋のきざしが、ほのかに現れただけで、猫は丸ぼちゃとなり、私の血は腹の中へもぐり込み、血の気を失うことは確かである。猫と私との変化はちょっと相反している如く見えるが、猫の丸くなるのはもって冬への用心であり、私は寒気を覚えて、何か重ね着をして丸くなろうと考えるわけである。
奥へ逃げ去るのは私の血液ばかりでない。この半月ほどの季節の変化によって、私の家の近くの草原の凹みや古池に溜っていた水という水はことごとく地中深く吸い込まれてしまい、草原のじとじとした湿りが乾燥し、私の家の井戸水のかさが減じてしまうのが毎年初秋における常例である。そして次の初夏のころまで草原と池は底を現しているのである。すると近くの人々がその凹みを塵芥の捨場と心得て、ブリキの空箱などが山と積まれる。その不潔な山が春から夏への季節には再びなみなみと湧き上がる水の底へ沈んでいきその上を蛙や赤腹が泳ぎ廻るのである。地球の地下水を私は人間
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