しかしそれは疲れたらタクシーへ乗る心もちで芝居へ行く。煙草の代用、カフェーのつもりで行くというきわめて不埓な見物人である。まさに大阪的見物の致し方である。だから舞台では何をしていてくれても一向差し支えはないのだ。手品でも旧劇でも新劇でも浄瑠璃、落語、何でもよいのである。要するに見物人の懇親を邪魔さえしなければよいのである。そして役者は好男子であればいい。
しかしながらこれでは名人も芸を磨く気にはなれないだろう。その点東京の見物人はもっと本気な意気を持っていると思う。私は名人を作るのは見物人の力だとさえ思っている。見物人が舞台へ背を向けては万事おしまいだといっていい。名人は決して現れないだろう。
私は東京で吉右衛門を見て、それから大阪でそれを見た。すると大阪では吉右衛門が半分しかないように感じられた。それは役者の不足のためかも知れないが、どうも私には張り合いの都合も随分あるのではないかと考えた。
それで常に関西にのみ多く住んでいる私は、つい芝居を見に行く本気を失ってしまう。たまたま行くとその不埓な見物をする。私は常に不埓な見物でことのたりる関西を淋しく思う。
見た夢
私
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