茶屋場を見た。役者は全部東京弁で演じていた。従ってその一力《いちりき》楼は、京都でなく両国の川べりであるらしい気がした。しかしそんな事が芝居としては問題にもならず、何かさらさらとして意気な忠臣蔵だと思えただけであった。一力楼は本籍を東京へ移してしまった訳である。
大阪役者が三人吉三をやる時にも、一層の事、本籍を大阪へ移してからやればいいと思う。
もしも、大阪弁を使う弁天小僧や直侍《なおざむらい》が現れたら、随分面白い事だろうと思う。その極《きわ》めて歯切れの悪い、深刻でネチネチとした、粘着力のある気前《きま》えのよくない、慾張りで、しみたれた泥棒が三人生れたりするかも知れない。それならまたそれで一つの存在として見ていられるかと思う。
先ず芝居や歌とかいうものは、言葉の違いからかえって地方色が出て、甚だ面白いというものであるが、日本の現代に生れたわれわれが、日常に使う言葉はあまり地方色の濃厚な事は昔と違って不便であり、あまり喜ばれないのである。
標準語が定められ、読本《とくほん》があり、作文がある今日、相当教養あるものが、何かのあいさつや講演をするのに持って生れた大阪弁をそのまま
前へ
次へ
全237ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング