んでいるか、旅へ逃げるものが多くなった。殊に私らの仲間ではうっかり羽織袴《はおりはかま》でも着用に及び、扇子を持って歩き出そうものなら、それこそ馬鹿|奴《め》と叱られる位の進歩をさえ示して来たのである。ところで、こうなると、せめて金でもあったら、また何んとか工夫もつくが、貧乏であっては正月の三日間位退屈な日はないということになって来た。夏祭などはただの休日という感激のない日となってしまったのである。
私の子供の時分の夏祭は、まだなかなか盛んなものであった。大阪の市中には各所に沢山の氏神《うじがみ》が散在し、それが今もなお七月中にその全部が、日を違えて各々夏祭を行うのである。その氏神を持つ町内の氏子《うじこ》の男女たちは、もう一ケ月も前から揃《そろ》いの衣裳《いしょう》やその趣向の準備について夢中である。当日になると、各町内で所有するところの立派なふとん太鼓[#「ふとん太鼓」に傍点]や地車を引ずり廻るのである。町家は軒へ幔幕《まんまく》を引廻し、家宝の屏風《びょうぶ》を立てて紅毛氈《あかもうせん》を店へ敷きつめ、夕方になると軒に神燈を捧《ささ》げ、行水《ぎょうずい》してから娘も父親も母
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