了解出来る看板は近代における重要な看板である。
ところで、昔の看板はさようではなかった。子守《こもり》や丁稚《でっち》が、あるいは車屋さんが車上の客と話しながら、珍らしい看板にはゆったりと見惚《みと》れているという有様であった。
従って、ゆっくり観賞出来るだけの手数のかかった看板が多かった。
ペンキのなかった昔は、看板は立派な木材が用《もちい》られ、そして彫刻師によって、書家によって、あるいは蒔絵師《まきえし》の手によって工夫されているものが多い。
今の大阪では古風な家は改築され、取払われ消滅しつつあるが故に、三十年前の旧態をそのまま止《とど》めている商家もまた少くなり、面白い看板もだんだん姿を消して行くようである。しかしまだ、高津の黒焼屋の前を通ると、私は私自身の生れた家を思い出す。それから船場《せんば》方面や靱《うつぼ》あたりには、私の幼少を偲《しの》ばしめる家々がまだ相当にのこっている。
現在の堺筋《さかいすじ》は殆《ほとん》ど上海《シャンハイ》の如くであるがその島之内に私の生れる以前からぶら下っている足袋《たび》の看板が一つ、そしてその家は昔のままの姿で一軒残っている
前へ
次へ
全237ページ中152ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング