という気風が多かったように記憶する。殊《こと》に展覧会前などにおいて持参に及ぶ男を見ると、何んだ、嫌《いや》な奴めと考えられた位のものであった。自分の絵は自分で厳しく判断すれば大概|判《わか》っているもので、それが判らない位の鈍感さならさっさと絵事はあきらめる方がいいと考えていた。そしてなお、先生たちの絵に対してさえも厳しい批評眼を持つ事を忘れなかった。
学校や研究所は自分たちの工場と考え、お互が励み合いお互で批評し合い、賞《ほ》め合い、悪口をいい合い、あるいは自分を批判し尽して以《もっ》て満足していたものであった。
初めて文展が出来た時、私たちは何も知らずに暮していたが、多少大人びた者どもは、ひそかにお互の眼を掠《かす》めて作品を持って先生たちの内見《ないけん》を乞《こ》いに伺うものが現れたようだった。さような所業は何かしら非常な悪徳の一つとさえ見做《みな》されていて、敢《あ》えて行うものは、夜陰に乗じて、カンヴァスを風呂敷《ふろしき》につつみ、そっと先生の門を敲《たた》くといった具合であったらしい。また学生の分際《ぶんざい》でありながら文展に絵を運ぶという事は少年が女郎買いする
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