と同じ程度において人目を憚《はばか》ったものである。あるいは、むしろ、女郎買いの方は憚らなかったともいえるが、文展出品は内密を主《おも》んじる風があった。
 私などは、殊《こと》の外《ほか》恥かしがり屋の故を以てか、浅草《あさくさ》や千束町《せんぞくちょう》へは毎晩通っていたが、文展へ絵を出す如き行為は決してなすまじきものであると考えていた事は確かである。そしてわれわれはそれによってある気位《きぐらい》を自分自身で感じていたものだった。先ず鞭声粛々《べんせいしゅくしゅく》時代といえばいえる。東洋的|大和魂《やまとだましい》がまだわれわれの心の片隅《かたすみ》に下宿していたといっていいかも知れない。
 その私たちの学生時代からたった十幾年経た今日、時代は急速に移って、鞭声粛々という文字を私でさえ忘れかかっている。今に大和魂といった位では日本でも通じなくなる時代が来ないとも限らない。
 勿論《もちろん》、画学生の数からいって、今とは到底比較にならない少数のものが、本当に苦労して勉強していたものであるが、私たちの時代よりもっともっと以前にあっては、全くこれは話にならない処の苦労をなめた処の少
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