神に会わねばならぬのかもしれません。エーステチッシュに信仰にはいったのでは力と熱とを実有することはできず、スペクラチフな仕方では信ずる意志と感情とを動かすことはかたく、私はそこにある一種の不思議な摂理、天来の恵みと選み、というようなものを待ち望みたくなります。パウロのダマスコ途上の経験や、フランシスのきいた神の声や梁川の見神の実験のような宗教的意識の体験、それは官覚的ではないけれど、官覚よりも鮮明直接な一種の霊的経験を求めたくなります。いかにすればかかる経験が得られるか、梁川などはただ思慕の情の熱して機の熟したときであるといってるだけです。
 私は宗教的意識を一生躬をもって研究したいと思います。
 性の問題については、私はどうしても肉体の交わりをよしと見ることができません。性欲はエゴイスチックな動機からしか起こらないと私は信じています。(これは私の経験より得た信念です。もし愛の動機からその表現として行なわるる肉体の交わりがあるものならば、私は実に喜びます。私の一つの大きな十字架が取り去られます)
 このことについては顔を赤らめずに語られません。私の信念を証するために具体的なことを書けば
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