はピープルとともに神を拝したき要求があります。そしてそのためにさまざまなおもしろからぬ、教会内の出来事を忍んでいます。そして今周囲から迫害されている教会を助けて働く気でいます。そして間違っているところは神様に恕しを求めます。どうせ間違いはないわけにはいかないのですから、私は許さるべきこととして教会に参ります。信仰はたしかでなくても、私はいのりたく、神をほめたく、キリストの生涯について人々に語ることは悪いことでもあるまいと思われますから。
私は聖書がまだ全く信じられないのは奇蹟や、癒しや、黙示があるためではなく、その計画が私にまだ絶対的完成を疑わしめるような、部分を含んでいるためです。ヨハネが「われその栄を見るにまことに神の子にして……」といったように、その計画がまことに神の計画として私に受け取れるならば、私は証拠を要求する気はないのです。けれど旧約聖書のある部分やまたキリスト伝のほうでも、キリストが数千の豕《いのこ》の群れを鬼に命じて殺すところなどは私は神の栄とは思われません。聖書のなかに示さるる善の理想が神の栄えを現わしていないときに私は信じられません。私はやはり梁川のような仕方で
前へ
次へ
全262ページ中85ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング