べきか、フランシスとクララとの交わりは、私に暗示を与えますけれど、それは師として、友としての感情にて、まだ性の要求の飽和には遠いもののようです。私はアダムとエバとのごとく、夫婦しての交わりにてのピュアな、天使的な、スイートな境地にあこがれます。それで私は、この頃は「聖なる恋」というあこがれを持ち始めました。神の前にての、エゴイスチッシュならぬ、天使としてゲミュートを損ぜぬ、けれど性の要求を飽和させる恋というものを描かずにはいられません。もし私たちの魂が祝福されたる高き神来の純化に達するならば、肉体の交わりなくとも、性の要求の飽和に達することができるのではありますまいか。
私は失恋して以来、いちずに女と恋とをなやみ[#「なやみ」に傍点]してきました。けれどそれは私の一つの反抗的なファラシーであって、ハイウェーではなかったかもしれません。私は遠い深い性の要求を魂の底に感じます。神さまがもし私に、神の※[#「耒+禺」、第3水準1−90−38]《そ》わせ給う女を送り給うならば、私は恋をしてはならないと思い決めまいと考え出しました。けれど私の願うごとき恋が、いつ現実に得られるか、私には何の手が
前へ
次へ
全262ページ中74ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング