ありません。私はもっとしっかりした態度でいつかクリスチァンになるかもしれません。これらのことはかく短く簡単には述べられません。あなたは十分には理解できますまいけれど、でも私の心持ちだけは以上の説明でほぼ推察下さいますことと存じます。気分の宗教ではとても病の癒しを神のみに求めたり、他人の幸福の守りを神に任せて安んじているような強い信仰はできません。そして私はそのような信仰を求めます。
 性の問題は正夫さんへの手紙に書いたように、エゴイスチッシュな動機をはなれて、女性を愛し、しかもそれが性の要求の飽和を与え、しかも天の使のような生活を傷つけないような女性の愛し方はあるまいか、と考え悩んでいるのです。そしてそれは「あらねばならぬ」ことでありながら、よほど困難なように見えます。私は人間に性の要求のあるのは、根本的なよほど深い根のあるものと思います。そしてその性の要求をよしと見るのは無理ではないようです。しかもこれはじっさいエゴイズムの最大の動機となります。私は肉体の交わりに伴なう恥ずべき、きらうべきエゴイスチッシュな意識を痛感します。しかしこの交わりなくして、性の要求を飽和せしむるにはいかにす
前へ 次へ
全262ページ中73ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング