裁くような空怖ろしい心を起こすには、幾度も自分を省みました。ヨブの例をも思わないのではありません。けれど旧約聖書を読むことの深くなるだけ、私はそれを深く感じます。これは私が聖書を約束の書として受け取ろうと思ってから後に、いっそう強くなりました。私たちは宗教的気分を味わうためならば、聖書の心に適う部分をさえ読めばよいけれど、信仰のためには全部を信じなくてはなりません。もし一部分だけを信ずるならば、もはや聖書以外のものに、たとえば、実験というようなものに頼らねばならず、その時からキリスト教としての特殊の宗教は亡びます。キリスト教としての徹底した態度は聖書無謬説のほかはないと私は思います。そしてじっさい真のキリスト信者は、かかる態度の信者においてこれを見いだします。
 私は、愛や赦《ゆる》しや癒《いや》しや労働やのキリスト教的徳を尊ぶ心は深くなるばかりです。けれどそれだけではキリスト信者ではありません。キリスト信者はキリストを神の子、救主として信じねばなりません。
 私の信仰の経路を反省してみますと、私にはキリスト教的愛の真理であることが信じられ、慈悲(キリスト教的愛)の完成のために祈祷の心
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