どは衆群にはいる前にもっと独居しなくてはならないのではありますまいか。衢《ちまた》に出ずるまでにもっと荒野に試みられねばならないのでは?
しかも私はどうも独居することのできがたい、人なつかしさを持っています。そして人の間に交われば自分のなすこと他人のなすこと、みな心に適いません。そして私はその境に立って迷います。けれど私は人を選んで交わり、場所を選んで住むのは絶対の境地とは思ってはいません。どんな人々の間にも、どんな場所にでも、安住することのできるようになりたいとの願いがあります。けれど今の私にはそれは遠い、遠い彼岸でございます。私はさまざまのことで自分の分限というものに気がつくようになりました。そして謙遜にならずにはいられません。それは理想を高く高く天に向かって掲げるからだと思います。
私は先日トルストイの性欲に関するエッセイを読みました。そして女性を純な心で愛せんがための煩悶を共にいたしました。それは私の失恋して以来の不断の問題なのです。そして彼が絶対の貞潔を理想としながら「結婚して貞潔を守れ」といったのを、自己を知った意見と思って同感いたしました。聖パウロが「人おのおの淫行を
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