がましき心を起こしてはならないと思いました。彼女は春の夕、合歓《ねむ》の匂《にお》いに、恋しいような、懐かしいような心のあこがれをそそられて、その樹《き》を抱いて接吻し、香を嗅ぎ、泣いたというようなことも書いてありました。また、クリスマスに先生から贈られたカナリヤに自分の掌から桜の実を食わせ、その小さな、柔らかなからだに触れて愛の感動をおぼえたとも書いてありました。不幸な彼女は人生の悲哀も、愛のうれしさも、神の恵みも、その心持ちがしみじみと会得され、晩年には聖書をそばからはなさず、ブルックス僧正から愛と恵みの教えを受くることを、何より楽しみといたしました。私は、光と音とを知らない彼女が、海辺をさまようては貝殻を拾うたり、岩に腰をおろして、海の博い心や、太陽の思いを想像したりして、時のたつのを忘れたという語を読んで、深く感動いたしました。神様はさながらあわれなる彼女の一生を、やさしき悲しみもて守り給うように見えます。そしてこの書物を読んで私の心に残ったものは、やはり人生の深い悲哀と、愛の不思議なうれしさとでした。遠い遠い平安と調和とを信じる心地が、私の胸の奥深く起こって参りました。
 こ
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