いいました。けれどその翌日兄妹は山から下りて再び街に来ました。そして今の宿に来たのです。今の宿は海に近く日あたりよく、かなり静かにて居心地よく穏やかな養生の場所として不適当ではありません。夜は温泉宿の燈火が美しく、三味線をひいて街を流して歩く女なども多く、昨夜も海岸を散歩してみましたら甘やかすような春の月のおぼろな光のなかを男と女と戯れながら歩いてるのを幾組も見受けました。
私は退院以来私自身も、妹も驚くほど元気よろしくかえって妹のほうが案じられるくらいです。妹もこれといって悪いのではありません。休学させて養生させます、なにとぞ心配しないで下さい。私は私のためにも、妹のためにも神の癒やしを祈っています。私らは静かな寂しいそしてたのしい生活をするつもりです。私は私のそばに愛し慈《いつく》しむものの共にあることを悦びます。私は孤独を願いません。私の心はただひとり私が住むときには犬でも飼いたき心地となって表われます。私は時々夜半などにふと眼のさめたとき、かたわらの寝床に妹が黒髪を枕に垂れてすやすやと眠ってるのを見て幸福を感じることがあります。そのようなときに、ひそかにそしてかろく眠りをさま
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