海に船が賑おうています。静かな心でこの手紙を書きます。御大切に。いずれまた。
[#地から2字上げ](十二月四日。明石より)
[#改ページ]
大正九年(一九二〇)
「俊寛」の完成
しばらく御無沙汰いたしました。紀州の海岸から帰られたのですね。そのように野に山にまた海に自然の膚と気息とにたえまなくふれ、また都会の人々が自分らの生活を、楽しく、ゆたかにするためにつくり出した設備や催しのなかで自分を富まし、また緻密な学究的労作のなかに、知性を鍛え、すべて人間の持ちうるカルチュアーの機会をことごとく享受することのできるあなたを心からお祝いしたく思います。あなたがいって下さるように、私はきわめて不利な外的条件のなかで自分の仕事をつづけています。けれども今は、私の心が静かさを保つことができて、人の幸福をも自分の不幸と較べて淋しくなるようなことはなく心からよろこぶことができ、また自分の生活に失望しなくなりました。私がそうなるまでには忍耐と祈りとで心の平和を恵まれるまでの苦しい時代が必要でありました。今は自分の運命を受け取り、ゆるさるる幸福を享《う》け楽しんで死を待ちつつ仕事にいそしむ
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