神にあいます。いまや祈祷は私の最もたのしき大切なるものになりました。私は私の心の奥に聖地を築きたい。そしてそこに最後の魂の憩《いこい》場所を見いだしたいと存じます。詩篇のなかに「みよ、神の道をたのしむものの足はいかに美しきかな」という言葉がありましたが、私はその足の美しい、聖地を蹈むに堪うる人となりたい。この間もお絹さんと静かに信仰のことなど語ってる時に私はかの聖フランシスと聖クララとの聖き交際を思い出さずにはいられませんでした。そして天の甘美とたのしき団欒《だんらん》とを想望いたしました。
 私には他人が私の生活内容のおもなるものとなりつつあることがたのもしく感ぜられます。私はトマスのような生活はできません、他人と交渉し他人の運命に影響しなくては生きるよすががありません。他人のなかに自己を見いだすのではなく、自己のなかに他人を生かしたい。私はあなたのこの頃のお心持ちにたいへん同感できるので嬉しくてなりません。私は深き深き意味にてソシアリチーということを重んじ出しました。なぜ世の人はかくまでにかたくなにて怨みを結びまた争うのでしょう。私は新聞を読むのが苦痛でなりません。読まねば社会に冷
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