ぜを引かすまいためにとて、無理に持たせてよこした懐炉に、灰に火をつけて彼女が、ハンカチに包んで、私の懐に入れてくれました。私は帰り道に俥《くるま》の上で思いました。私はこのようにして多くの人たちの愛の守りのなかにいるのだ。両親、艶子、お絹さん、その従妹、そして東京にはあなたや謙さん、天香さん、私は生きる価がある、それを感謝しなくてはならない。そして純な希望のみで仕事をしてゆこう。それが文壇的になることはしいては求めまい、いわんやそのために心を煩わされるのは卑しい――そんなことを考えつつ、今は葉が落ちつくして裸になった、櫨《はぜ》の木のたくさん両側に並んでいる堤の上を俥で帰りました。
 わずかに芽の出た麦畑の間を通って、海べの砂州に海苔《のり》の乾してある、丹那の村の入り口の橋のそばまで来ると、私の家の飼犬のイチという子犬が、私の姿を見つけて跳ね廻って悦び、吠え、尾をふり、俥の前に立って、私の家の門まで走りました。お絹さんは私の帰りを待ちわびていてくれました。そしてあなたの手紙が来ていることを私は聞きました。
 私は今日はつくづく愛の幸福、私の身の廻りをつつむ温かな人のなさけを感じました
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