。私はどうして人に愛されるのだろうと思って、ありがたい気がしました。そして不純な欲望さえ起こさなければ、私はしあわせを感ずることができるのに、貪欲になるからいけないのだと思います。
あなたの四日付のお手紙も読みました。私のためにいろいろと心配して下さってありがたく思います。あなたの親切をしみじみと感じます。労働と報酬との独立については、私も全くあなたと同じ意見です。
天香さんのもつまり同じ意見で、人は愛し労働する。パンはそれとは別に神様が保証して下さる。労働できない境遇の者は、たとえば病者、幼児などは神様に養われて生きるのである。健康なものも愛のために働き、その報いとしてではなく、パンを神様からいただく。そして「なくてはならぬもの」で生きる時、平和が地上に保たれるという意見です。私なども怠惰でなく、贅沢ではないならば、金を他人から、(今では父母ですが)神の名によってもらって生きるのは許される生活だろうと思います。ただそのもらっている金が、他人の労苦より出ずるものゆえ気の毒なのです。つまり「なくてならぬもの」だけは費やして許されるのですね。今の私は、節倹をしつつ、養生し、許される限り
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