、ほかのを出せなくて困っています。江馬君にでも頼んで、どこか私の作をお金なしで、発表できるところを工夫してみて下さいませんか。ただし、気らくに、責任を持たずに考えておいて下さいというだけですよ。なければなくてもいいのです。艶子のものも、どこかお金なしで発表できるところをつくってやりたいのです。もしあなたの力で何とかなれば考えておいてやって下さいませんか。
 茅ヶ崎のほうは、そんなにたびたび血が出ては実に淋しいでしょう。あなたも慰めかねなさいますでしょう。その忍受して耐えていらっしゃるのを見るのははたの人はいじらしいでしょう。私はこの頃は神経痛で腰が痛むので、不自由を感じています。どうせ病身なのですから、もうなれています。あまり案じて下さるな、私は病苦の間から仕事をする気です。
 アヤスというのを私も読みましょう。私はソフォクレスはたいへん好きになりました。今日もソフォクレスの彫像の写真を出してながめました。あなたのおかげでいろいろないいものを読まれることを感謝いたします。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 丹那より)
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 大正六年(一九一七)


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