に、民衆的となりやすいいいところもあると思います。一つの共存の意識が、違った表出の仕方でおのれ自らを外へと道を求めるのであろうと思います。
 人生論者たらんとする、その要求を、根拠づけているところのあなたの感情を私は深く尊敬いたします。
 私の脚本は、も少しで完成します。今六幕目の終わりを書いています。親鸞聖人の臨終は、一つの罪の意識が救われの意識となって、この聖者の魂が天に返るように、罪を持ちながらも、一つの調和した救済の感じの出るようにかく気でいます。ファウストのグレートヘンの「審判された」が「救われた」となるように、私も親鸞の煩悩に苦しみつつ死ぬるのを成仏《じょうぶつ》と読者に感ぜられるように描きたいと思っています。最後の幕切れは、親鸞の魂の天に返れることをあらわすために、平和な、セレスチアルな音楽で終わらせたいと思っています。
 私は早世する兆《きざ》しか、もはや老年期のような調和的なものがかきたいのです。ゲーテのあるものは私の心に適います。私はゲーテの影響で、独白をたくさん使いました。私は独白は古典的な感じがして好きです。
 あなたにほめてもらったので、大分自信がつきました。
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