、素質の勢力をはからずに、ねがいばかりが先に行きます。いや、それは本当はねがいではなくて、そのねがいの持つたのしき感動だけです。かくかく願うというときには私はほんとうは願っていないのでした。私はほんとに願を起こしたい。「この本願かなわずは正覚を取らじ」という願を起こしたい。もし起こらぬならば、それを起こっていると自ら欺くまいと思います。真実な人がそばにいると、その自欺と自媚《じび》とははっきりあらわれます。せめて私はうそだけいわぬようにしたい、――天香さんの前で私はこうしばしば思います。
 インノセンスの自由は私からたえて久しい幸福であります。私はどうしてヴァニチーがこんなにとれないのでしょう。犠牲と、Verzichtung とは、ヴァニチーの混じた感情では実行できません。アン・ジヒ・ゼルプストな目的、実行的意志でなくては、私はこの頃私の感情が不信用になって、感動というものをあまり重んじなくなりました。ある実行の動機となるためには、その感動は常に持続しなくてはなりません。
 しかるに私たちの感動は衝動的なもので持続しはしないから、私たちは実行を決定する時には他の利害の観念のごときものを
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