》を今日も与え給え」とあり、しかして「求めよさらば与えられん」とあるのを見るとキリストはパンを神にデペンドしてか、人類財産を私有せずに相愛することによって、地上に天国を建設しようと考えたのではありますまいか。私はこの頃出家のねがいの強まるとともに、どうしてもパンの問題に触れます。愛に徹すれば出家せねばならぬ。出家するには親のトイルに依頼することはできない。しかし私は病弱で無能でパンを得るかいしょがない。その時私に暗示を与えるものは、キリストのこの約束だけです。昔フランシスはこの約束に依頼して「杖をも、二つの衣をも携えずに」出家しました。キリスト自身もそれを実行しました。また西田天香氏は今日現にこの約束に立って暮らしている純粋なクリスチャンだそうです。この人は財なく家なく妻なくフランシスカンのような仕方でキリストの主義を実行しているそうです。三界《さんかい》に家なけれど、いずこもおのが家のような気で、呼ばれればどこにでも行き、喜捨されたものは何でも感謝して受け取り、あたかもキリストが無一物であって、税吏の家にでも、パリサイ人の家にでも、招かれて行かれたように、与うることと、受くることの自
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