にも親とも隣人の関係に立たねばならないと思います。私などはそのほうがかえって親を愛しよいのです。私はそれを断行せねば、とても親を愛するようにはなれそうにありません。私は隣人には親切、親にはあさましいほど不幸です。私は自分で苦しくてならないのですけれど、そうなるわけがあるのです。(私は、そのことを私のエッセイに詳しく書きました)私は一度出家したならば、きっと、親にもかえって孝行のできる時が来ると思うのです。それについて私はこの頃一つ深く感じたことがあります。それはキリスト教とパンの問題です。キリストの十字架を負えば私有財産も家庭生活もできないことになりますが、しからばいかにしてもパンを得たらばいいのでしょうか。私は考えてみるにキリストの考えはパンを神にデペンドすることにあったのだと思われます。「なんじら何を着、何を食わんとて思い煩うなかれ、ただ神の道を求めよ、さらばこれらのものはその上に加えられむ、けだしは、天に在《いま》す父は、これらのもののなんじらに無くてかのうまじきことを知り給えばなり」「なんじら明日のことを思い煩うなかれ」とあり、また「主の祈り」のなかにも「われらの日用の糧《かて
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