活を強いものと思っていましたが、今は任受の生活をもっと深い、そしてけっして弱くないものと思うようになりました。私は運命を認めます。そしてそれをわれに非なるものと感ずるときはデスペレートなニヒリズムになるほかはないと思います。私のねがいはこの抵抗すべからざる力を正しきもの、われに愛なる神の摂理として感ずるようになりたいことです。これは私の根本信念です。私はいつも申しますように世界(現われたる世界のみでなく)をコスモスと信じます。そしてその実感に達するまではいかにイヴィルが重なり来たろうとも絶望する気はありません。私はオプチミストです。光の子です。今は涙に濡れていますけれどけっして呪いの息を吐かないつもりです。「おお、美しき世界よ、よきつくり主よ、私は感謝いたします」といいうるまで、あらゆる悲しみと悲しみを耐え忍ぶ気です。
私は「毀たれざる生活」を求めます、そしてそれは任受の生活、運命とともに生死する生活のほかにはないと思われます。そのほかの生活はことごとく運命に当って崩れます。個人の意志というようなものは最も脆《もろ》いもので、それ自身では、確実に立つことはできないと思われます。私は任
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