地がつまらないのに、私はからだは弱し、何もかも心に任せぬことばかりで、あなたのお立ちなさった後でも、私はそのことが気にかかってなりませんでしたけれど、あなたのようにおっしゃっていただけば、私はまことに安心し、どんなに嬉しいかわかりません。またあなたは私の持ってるよき部分を理解して下さって、私を愛し、私との今後の交わりに大きな期待をおいて下さいます。私はまったく、それに相当しているとは思われませんけれどでもそうしていただくことはどんなに心強い、嬉しいことかわかりません。私はあなたの博い知識から私に入用なものを与えられ、またことにさまざまな verfeinern された、エステティシュな感情や趣味を教えられ、どれほどためになるかも知れませんのに、私はほとんど何ものをもあなたに与えることはできません。けれど人間と人間との交わりの契機はタレントではなくて、愛だと思いますから、こうして交わっている間には少しはあなたによき Vertu を及ぼすこともできるかもしれないと思います。
私はこれまでの人と人との接触を重大な問題として暮らしてきました。そして幾度もつまずいた苦い経験を持っています。そのために私はいかにせば、私たちは、地上のものとして、よきコンスタントな交わりができるかということについて知恵が育つようになりました。私は、私たちの、人間としてのさだめを知ってのうえで、すなわち互いに救い取る力のないこと、完全には理解し合う知恵を持たぬこと、まったき愛を献げようと願いつつもなお自らのエゴイズムの根をもてあましつつあることなどを嘆きつつ、まったき交わりの理想に向かって憧憬《どうけい》しながら、赦し合って交わりつづけて行かねばならぬと存じます。互いを憐れむ、隣人の愛の基礎の上に友としてのスイートな接触をも要求せねばならぬと存じます。私はそのように用意したうえで、心をつくしてあなたを愛し、また赦しを期待してわがままをもさせてもらおうと存じます。私はあなたが「考えることよりも行なうことにおいて弱い」ことなども認めてそして許します。また私の数多き欠点をも赦していただき、お互いに未来に期待を持ち、尊敬と祝福を寄せたいと存じます。私は教会で集まりの終わり頃に、みな立って「主の祈り」を一緒にいのる時、「われらに罪を犯すものをわれ赦すごとく、我らの罪をも赦し給え」というところになるといつでも涙
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