青春の息の痕
倉田百三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)寂寥《せきりょう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)何日|頃《ごろ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「耒+禺」、第3水準1−90−38]

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)さまざまな 〔ungu:nstig〕 な境遇
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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 序


 これは私が大正三年秋二十二歳の時一高を退学してから、主として、二十七歳の時「出家とその弟子」を世に問うまで、青春の数年間、孤独の間に病を養いつつ、宗教的思索に沈みかつ燃えていた時代に、やはり一高時代のクラスメートで、大学卒業前後の向上期にありし久保正夫君および久保謙君に宛てて書き送った手紙を編み集めたものである。
 両君とも一通も失わずに保存していて下さった。
 もとよりこれらの手紙は公表することなど予期して書かれたものではない。この寂寥《せきりょう》と試練の期間を私はひとえに両君の友情に――というよりも友情の文通に支えられて生きた。私は遠くはなれて住み、一、二度しか相会うことはできなかった。それに海岸から、病院へ、それから温泉へ、それから修道園へ、と私は病を養いつつさまよっていたから。
 この期間の私たちの友情は実に美しく、高いものであった。生への宗教的思慕と、文学的探究心と、そして知性ある情熱とが友情を裏づけていた。私たちの思索、なやみ、実践への方向は少なくとも人生の最高のものを、最も虔《つつ》ましい態度において志向していた。
 二十二、三歳から二十七、八歳までの血潮多き青年同志が、そのひたむきななやみに充ちた生をこれだけ知性ある友情によって支え、清き自律をもってしめくくりえていることはまれなのではあるまいか。
 ともかく私はこれらの手紙を読み返して、その Leiden がまともに人性的であることと、心術が世俗の濁りに染んでいないことと、解決を求める仕方が深く、高くモラルを堅持している点において、今の若き世代に感染してもいいものではないかと思うのである
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