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なぜなら今は世をあげて、戦争や経済的改組の問題に忙殺されているように見えるが、やがて日本にも、世界にも新しき神学的時代が来ねばならぬことを私は予感しているからだ。
人類はその生活をも一度ラディカルに見直さねばならない。民族国家の問題、経済革命の問題もその根本を一度神学的に批判されるのでなければ、全人類を福祉あらしめる恒久の平和の原理を見いだすことは不可能であろう。一つの民族の光栄とはそれが天の栄えをわかつ時にのみ光栄なのである。
この本が「ある神学青年の手紙の束」と傍題されたのは、その内容が広き意味におけるセオロジカルな課題として人生を考え、取り扱っているからである。
実際に私は、集中の一つの手紙が示しているように、ある時期には、カトリックの僧侶たらんと欲していたのである。
「青春の息の痕」というのは、涙の痕《あと》が手紙に残ってるように、菩提樹《ぼだいじゅ》に若き日にナイフで傷つけた痕がいつまでも残ってるように、青春の苦悩の溜息《ためいき》の痕を示すという意味である。
もとよりこの手紙集はそれらの解決に応《こた》えるためにあるのではない。しかし生と人間性の根本を神学的に考えとらえんとする志向と感情とを示唆《しさ》しうるであろう。
青春においては、むしろ、その考え方、感じ方が解決よりも重要なのである。
恋のためではなく、友情のために、私がこのように長い細々とした手紙を書く時期はもう永久にないであろう。が私がそのような手紙を宛てた久保正夫君は、京都大学を卒えて、同志社大学に君独特のスタイルでのフィヒテ哲学を講じつつあった間に、惜しくも夭折《ようせつ》してしまった。そして死を期していた私は病癒えて、塵労《じんろう》の中にたたかいつつ生きている。そしてもひとりの久保謙君は水戸高等学校の教授兼主事として、その昔ちょうど自分が抱いていたような悩みを生きている青年たちを教え導いている。
思えば二十五年の昔である。
私はその返らぬ日の手紙を読みつつ、その純真さに自ら打たれた。そして今の自分はあるいは堕落したのではなかろうかと省みさせられた。
嫌悪すべき人生の中年期がそのがらくたを引っくり返して私を囲みつつあることは事実である。もし私が今日取組みつつある、社会・国家ないし共同体の現実的諸問題を捨てて、おのれ自らの求心的領域に帰りうるならば、私は確かに今よりも
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