を訪れねばいいがと案じます。私はこの頃は二、三か月先のことは恐ろしくなりました。願わくば神様が私を守り下さいまして私にこのたのしき逢瀬《おうせ》を恵み給わんことを祈ります。あなたも祈りつつ待っていて下さいまし。私は小一里の道を歩行できるようになりました。また肺のほうはたいへんよくて、どの医師も心配しなくてもよろしいと申してくれます。痔は一生の持病として、今後しばしば煩わしき手術を受けねばならないことと覚悟しています。パウロが終世癒えなかった眼病を、神の与え給いし棘《とげ》として忍び受けたように、私も私の運命に甘え、自らに媚びる心を制するための神の賜物として甘受いたしましょう。私がもし、ほしいままな健康の消耗を生ずるごとき行を避け、謙遜に生を守りますならば、そうたやすく倒れはしますまい。私は病弱な貧しい素質ながら、私に残された領土をひらいて行きましょう。私は私の使命のために神に祈らずにはいられません。なにとぞ一生涯私の善き友であってくださいまし。私も一生涯あなたに背く気はございません。もし神のみ心ならば一緒に仕事をする時もありましょう。かく思う時、私は心の躍る心地もし、たのしき恐ろしき未来のために祈りの心が湧くのを感じます。ああ、御一緒に天に昇りたいものでございますね。[#地から2字上げ](久保謙氏宛 五月二十五日。別府より)

   温泉地になじまず、去る

 お手紙うれしく読みました。私は都合により倉橋島へは行かずに妹と一緒に故郷に帰ることになりました。ただ今は最後の散歩をしてしばしの交わりにはや別れにくきほどの親しさになっている幾つかの家庭に「さようなら」を告げて宿に帰ったところでございます。私たちは何だか悲しい淋しさに沈んでいます。市街の燈火も今晩は心もちかなしそうに思われます。思えば私は浜辺より森のなかへ、病院より温泉宿へと淋しい旅をしては、そのたびに幾人かの忘れえぬ人々とあわれな別れをして来ました。私は今夜はそれらの人々のことを思い出しました。そしてかなしい人生のさだめのまえに、祝福をその人々に送るいのりをせずにはいられません。私は私の未来の生涯をば淋しきものと思いさだめるたびごとに、ただこのようにしてできる多くの淋しい人々のよき友であることのみに私の生きる意味を見いだそうかと思うほどでございます。あなたはいつまでも私を愛して下さいまし。私はこの夏は父母に
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