せらずに養生しています。私の気質として物事を不足に不幸にばかり考える悪い癖があるので、このような場合には生きがたい気がします。私はひとりの友もなく、まったく淋しいので四、五日前から二十日鼠を三疋飼っています。よく車を廻します。少しの米を食って何の不足もなさそうに遊戯して暮らしています。時々小さな声を立てて鳴きます。私は寝床に横になって、そのさまを見ています。これだけが私の一日のなぐさみです。あわれんで下さい。私の心はどうしても不幸の意識から自由になることができません。やはり死に脅やかされるのが一番原因になっています。血の出る時の本能的な不安は実にいやなものです。私は死に身を任せる覚悟のできていない生活はたしかなものではないと思いだしました。そして人間の幸福はやはり安息にあると思います。エピクロスなどの考えたのもそのような気持ちだったのであろうと思います。さまざまの悲哀や心配のたえ間のない人生の終わりに来る死、それを relief のように、迎えることはできないものでしょうか、私は故郷の父のことなど思うと、そうであってほしいとせつに思います。私は墓場の彼方に平和を希《のぞ》む生活を一番いいような気がします。やはりこの世は仮りの宿というようなテンポラルな気がします。トルストイやナポレオンは今どうしてるだろう。夏目さんや魚住さんは? と思うと私は変な、淋しい気がしてなりません。今から百年たてば私らのうちひとりも生きてる人間はいないのですね。そのくせこの世は私たちに強い強い愛著を持たせるのですね。私は長生きができないのがなさけなくてなりません。そして死ぬる時の肉体的苦痛が今から気にかかります。私の初子《ういご》が十日以内に生まれるはずです。私はじっさい何と思ってこの子の誕生を迎えていいか自分にわかりません。不思議というほかはありません。生まれた赤ん坊を見たら急にかわゆくなるのでしょうか。みなかわゆいと申しますから、私もそうなるのでしょう。男子ならば地三、女子ならば桑子と名をつけようと、お絹さんと相談しました。いまだ孵《かえ》らぬ卵をかぞえるような愚かなことですけれど。天香さんがはるばる私を見舞いに来て下さるそうで、もったいなく思っています。私は四月中旬まで病院にいなくてはなりますまい、私の書物が出るのは五月初旬でしょう。まだ自分で書くと手が慄えて少し無理です。
[#地から2
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